一昨日、岩手花巻市街ぶらぶら散歩の後、「賢治祭パート2 《追悼と感謝をこめて》」に出席して参りました。

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午後3時過ぎ、花巻駅前から路線バスに乗り込み、会場の賢治詩碑前へ。

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ここは賢治が創設した羅須地人協会跡地で、有名な「下ノ畑ニ居リマス」の舞台です。地人協会の建物自体は移築されてしまいましたが、「下ノ畑」は健在。ただ、来月から区画整理が行われ、景観が変わるだろうとのことでした。

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この地に昭和11年(1936)、賢治三回忌を期して、「雨ニモマケズ」後半部分が刻まれた、初の賢治詩碑が建てられました。全集編集などで賢治紹介の労を執り、賢治自身も崇敬していた光太郎に碑文揮毫の依頼があり、光太郎が筆を振るいました。

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台座の地下には賢治の遺骨も分骨されているとのこと。そこで、9月21日の賢治命日に合わせ、毎年、この碑の前で賢治祭が開催されているというわけです。当方、初参加でした。

午後4時から献花。参加者一人一人に花が渡され、それぞれが碑前に手向けるという方式でした。

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同時に伊豆大島からお見えの椿弦楽四重奏団さんの追悼演奏。その間にも三々五々、参加者が増え続け、最終的には300名くらいだったそうです。

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その後、黙祷、賢治作詞の「精神歌」。雰囲気が盛り上がってきたところで、開会。

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例年5月15日の花巻高村祭、それから昨年は日比谷松本楼さんでの連翹忌にもご参加下さった、上田東一花巻市長。御父君は光太郎と親交がありました。
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南城小学校4年生の皆さんによるかわいらしい歌。

その後、スピーチ。当方も光太郎と賢治の関わりについて述べさせていただきました。要旨はまたのちほどご紹介します。

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そして後半。この頃になるとすっかり日が落ち、昼間は暑かったのが、涼しい、というより寒いくらいになってきました。篝火が焚かれたのが有り難いところでした。

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後半はアトラクション中心でしたが、若い皆さんが大活躍。賢治の精神が次世代へと受け継がれて行くであろうと、感心しました。

最後は会場全体で、「星めぐりの歌」と「精神歌」を歌いました。「星めぐりの歌」は賢治の作詞作曲。花巻と同じ岩手を舞台にし、当会の会友・渡辺えりさんもご出演なさっていたNHKさんの「あまちゃん」でも使われていた曲です。

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ここでいったん閉会。第二部的に、「座談会」に移行しました。同じ会場ですが、今度は車座になって、一般の参加者の皆さんが、それぞれの賢治への熱い思いなどを語られる、というコンセプトでした。

ギターご持参で、「雨ニモマケズ」にオリジナルの曲を付けた歌を披露なさった方もいらっしゃいました。
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午後8時半、すべて終了しました。

翌日の地方紙2紙に載った記事です。

『岩手日日』さん。

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『岩手日報』さん。

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それぞれクリックで拡大します。

同じようなことを色々な場面でお話ししたり書いたりしていますし、当会顧問北川太一先生の受け売りなのですが、どんなに素晴らしい芸術家であっても、後の世代の人間がその価値を正しく理解し、さらに次の世代へとその人の功績を受け継ぐ努力をしなければ、やがて歴史の波に埋もれてしまいます。そうならないためのこうした取り組み、いつまでも続いて欲しいものです。


【折々の歌と句・光太郎】

すとすとと蕎麦うつ音や枕もと     明治34年(1901) 光太郎19歳

秋といえば新蕎麦。当方、父方は信州の出ですので、蕎麦やら林檎やらの信州名産には目がありません。同じ信州名産でもイナゴや蜂の子はちょっと食べられませんが(笑)。

一昨日の賢治祭終了後、主催の方に車で送っていただき、花巻駅前まで戻りました。座談会の際におにぎり(宮沢家からの差し入れ)や南部煎餅などをいただきましたが、夕食とするには足りず、かつて光太郎も蕎麦を食べた駅前の伊藤屋さんで天ぷら蕎麦をいただきました。

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