先週の『読売新聞』さんに光太郎の名が。ただし記事ではなく写真のキャプションです。

記事は以下の通り 

犀星と朔太郎、詩誌発刊100年記念し資料公開

 室生犀星(1889~1962年)と親友の萩原朔太郎(1886~1942年)が青年期に手がけた詩の同人雑誌「感情」が発行されて今年で100年となるのを記念し、金沢市千日町の室生犀星記念館で関連資料が公開されている。

 朔太郎がデザインした表紙などが展示され、担当者は「若き詩人の息づかいと雑誌発行にかけた情熱を感じてほしい」と話している。

 「感情」は2人が当時の文壇や詩壇に挑戦する詩を発信しようと、1916年6月に創刊。19年11月までの3年半に32号が出版された。詩に特化した雑誌が当時は少なかったことや、その秀逸なデザインから人気を博し、毎号200~300部が刷られた。掲載された詩は、後に、朔太郎の「月に吠(ほ)える」や犀星の「愛の詩集」など代表的な詩集に収められた。

 表紙のデザインは朔太郎が考案し、原稿集めや編集、校正、印刷、販売は犀星が一手に引き受けた。資金繰りには苦労したとみられるが、犀星は「毎月詩を書いてそれがすぐ印刷になる幸福」と後に記している。

 犀星は、購読者に郵送する封筒に独自でデザインした版画を押しており、その封筒も 展示されている。犀星は朔太郎に宛てた手紙で「1日中、封筒ののり付け作業をして手の皮がむけた」などと記しており、作業は当時、犀星の生活の中心だったようだ。

 19年に犀星の小説「幼年時代」が中央公論に掲載されたことを機に、犀星は小説家 として本格的に歩み始め、終刊となった。同館の嶋田亜砂子学芸員は「若い頃の犀星 たちが詩にかけた情熱を感じてほしい」と話している。展示は11月6日まで。

 展示は11月6日まで。 開館時間は、午前9時半~午後5時(入館は午後4 時半まで)。入館料は一般300円、65歳以上200円、高校生以下無料。


写真とキャプションがこちら。

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報じられているのは、光太郎もたびたび寄稿した詩誌『感情』にスポットを当てた企画展です。詳細はこちら。 

企画展「『感情』時代-僕らが一番熱かった頃-」

期  日 : 2016年7月1日(土)~11月6日(日)
会  場 : 室生犀星記念館 石川県金沢市千日町3-22
時  間 : 午前9時30分~午後5時
料  金 : 一般 300円   団体(20名以上)250円  高校生以下 無料
         65歳以上・障がい者手帳をお持ちの方およびその介護人 200円(祝日無料)

室生犀星と萩原朔太郎、”二魂一体”と称された二人が自分達のアイデンティティを確立し、発信するべく創刊した詩誌「感情」は今から100年前、大正5年の6月に誕生しました。詩人として歩み始めた二人の若者が絶対的に大切にしてきたもの、そして当時の文壇・詩壇への反逆・挑戦の精神が、この「感情」という詩名にはこめられています。「感情」は大正8年11月まで3年半続き、32号を数えました。この間に多田不二、竹村俊郎、恩地孝四郎、山村暮鳥らの仲間を加え、それぞれが熱い思いをかかえ、ここをよりどころにして詩作を発展させ飛躍していきました。その大きな一歩として、朔太郎の『月に吠える』、犀星の『愛の詩集』など、かれらの第一詩集が感情詩社から出されています。本展示では、「感情」に集った若き詩人達の苦悩と情熱を感じていただければと思います。

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関連行事

金沢ナイトミュージアム「夜間延長開館」   
  開館時間を延長し、午後9時まで夜間開館いたします。
  日 時 9月17日(土) 10月22日(土)、23日(日)(入館は午後8時30分まで)
  入館料  一般300円、65歳以上200円、高校生以下無料
  問合せ  室生犀星記念館 076-245-1108

講演会「室生犀星と詩と世界」   
  現代詩作家 荒川洋治氏による講演会をおこないます。
  日 時 10月8日(土) 午後2時~午後4時
  場 所 金沢21世紀美術館内レクチャーホール 金沢市広坂1-2-1
  参加費 無料
  申 込  電話076-245-1108にて 先着順


詩誌『感情』。光太郎は確認できているだけで3回寄稿しています。

最初は大正5年(1916)10月発行の第1巻第4号。詩「我家」(のち「わが家」と解題)。続いて翌年1月の第2年第1号に詩を一挙6篇。「花のひらくやうに」「海はまろく」「歩いても」「湯ぶねに一ぱい」「晴れゆく空」「妹に」。さらに4月の第2年第4号には、散文、というより書簡からの抜粋で「萩原朔太郎詩集「月に吠える」について」。

特に「我家」は注目に値する作品です。大正3年(1914)に詩集『道程』を上梓、そこに書き下ろしで掲載した「秋の祈」以後、詩作から遠ざかっていた光太郎が、約2年ぶりに発表した詩だからです。

   わが家

 わが家(や)の屋根は高くそらを切り007
 その下に窓が七つ
 小さな出窓は朝日をうけて
 まつ赤にひかつて夏の霧を浴びてゐる
 見あげても高い欅の木のてつぺんから
 一羽の雀が囀りだす
 出窓の下に
 だんだんが三つ
 だんだんから往来いちめん
 露にぬれた桜の葉が
 ひかつて静かにちらばつてゐる
 桜の樹々は腕をのばして
 くらい緑にねむりさめず
 空はしとしとと青みがかつて
 あかるさたとへやうもなく
 夏の朝のひかりは
 音も無く
 ひそやかに道をてらしてゐる
 土をふんで道に立てば
 道は霧にまぎれて
 曲がつてゆく


高らかな調子で謳われているのは、駒込林町のアトリエ。ここに智恵子の名はありませんが、2人の愛の巣を謳ったという意味では、『智恵子抄』スピンオフ的な内容です。

しかし、のちに智恵子が心の病を発症してから、光太郎は同じ自宅を自虐的に「ばけもの屋敷」と表すことになります。

   ばけもの屋敷

 主人の好きな蜘蛛の巣で荘厳(しやうごん)された四角の家には、
 伝統と叛逆と知識の慾と鉄火の情とに荘厳された主人が住む。
 主人は生れるとすぐ忠孝の道で叩き上げられた。
 主人は長じてあらゆるこの世の矛盾を見た。
 主人の内部は手もつけられない浮世草子の累積に充ちた。
 主人はもう自分の眼で見たものだけを真とした。
 主人は権威と俗情とを無視した。
 主人は執拗な生活の復讐に抗した。
 主人は黙つてやる事に慣れた。
 主人はただ触目の美に生きた。
 主人は何でも来いの図太い放下(ほうげ)遊神の一手で通した。
 主人は正直で可憐な妻を気違にした。
 
 夏草しげる垣根の下を掃いてゐる主人を見ると、
 近所の子供が寄つてくる。
 「小父さんとこはばけもの屋敷だね。」
 「ほんとにさうだよ。」

こちらは昭和10年(1935)、智恵子が南品川のゼームス坂病院に入院した年の作です。


話がそれました。企画展「『感情』時代-僕らが一番熱かった頃-」、ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

久しぶりに来しわが友のふところにさやさやと鳴る新しき風
大正13年(1924) 光太郎42歳

今日から9月。心なしか吹く風も秋涼の気配をはらんでいるように感じます。