こちらも少し前、今年5月刊行の書籍です。光太郎、父・光雲の、いわばホームグラウンドであった浅草に関するものです。 
2016年5月27日 勉誠出版 定価2,800円+税
金井景子・楜沢健・能地克宜・津久井隆・上田学・広岡祐 著

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数々の低迷と隆盛を経た浅草はどのように描かれてきたのか。
浅草を舞台とした小説や映画、演芸、浅草にゆかりのある人物を中心に、明治から現代までの浅草、あるいは東京の文化が形成される軌跡を辿る。
昔のものが消えても、苦境を乗り越え、新たなものが参入し、それが人を呼び寄せていく。
様々な文芸作品と100枚を超える写真から、〈かつての浅草〉と〈現在の浅草〉を結びつける!


目次
 はじめに

 巻頭インタビュー
 作家戌井昭人氏に聞く 浅草という体験
 「十和田」の冨永照子さんに聞く 「浅草」をつなぐおかみさんの声

 浅草文芸選
 外国人の見た幕末・明治の浅草
 ロバート・フォーチュン『幕末江戸探訪記 江戸と北京』ピエール・ロチ『秋の日本』
 明治四十一年の江戸情調  木下杢太郎『淺草觀世音』『淺草公園』
 隠蔽する十二階/暴露する瓢簞池  室生犀星「幻影の都市」
 九月、浅草の公園で  江馬修「奇蹟」
 凌雲閣から見えない浅草  江戸川乱歩「押絵と旅する男」
 「感情の乞食」が浅草で拾ったものは何か  川端康成『浅草紅団』
 現在を語ることの難しさ  堀辰雄「水族館」
 あの機械は、機械の悲しさにたとえ宮様のお通りでも、十銭入れなきゃ廻らないんだ
   貴司山治「地下鉄」
 靴と転業をめぐる「マジな芝居」は書かれたか  高見順『東橋新誌』
 ぼっちゃん、おじょうちゃんへの浅草教育  幸田文「このよがくもん」
 行き場のないフラヌールの邂逅  水木洋子・今井正『にっぽんのお婆あちゃん』
 浅草の美、その映像的表現  加藤泰・鈴木則文『緋牡丹博徒 お竜参上』
 ハダカと浅草の遠近法  井上ひさし「入歯の谷に灯ともす頃」
 浅草の「見世物」から浅草という「見世物」へ  寺山修司「浅草放浪記」
 墨堤からながめる浅草  沢村貞子『私の浅草』
 吾妻橋コレクション  半村良『小説 浅草案内』
 芸人によって重ねられた都市の年輪  ビートたけし『浅草キッド』
 焼跡と復興と、戦災孤児のゆくえ  木内昇『笑い三年、泣き三月。』

 コラム
 奥山の伝統をつないだ風狂の人
 浅草一丁目一番地の愉楽―神谷のバアと朔太郎と
 劇場・陋巷・探偵趣味
 震災と浅草―復興と明治の終焉
 パロディと幻想―エンコの六・江戸川乱歩・浅草紅団
 演歌の〈誕生〉―神長瞭月と浅草の映画館街
 吾妻橋西詰のモダニズム―永井荷風『断腸亭日乗』の浅草風景
 モダン浅草の残像をたどる
 浅草にマリアがいた―北原怜子と「蟻の街」
 浅草みやげ
 路上の叡智―添田啞蟬坊・知道『浅草底流記』
 映画のなかの〈写された/作られた〉浅草
 地上げと原っぱ―八〇年代浅草の、とある風景
 〈見世物〉としての演芸―小沢昭一の叙述から
 浅草への陸路―雷門から入る啄木/雷門から入らない犀星
 浅草の銭湯・温泉
 浅草の祭り

 浅草散歩
 ①浅草をちょっと知っているつもりの先生と初めて浅草を訪れる学生の半日
 ②歌舞伎女子、新春の浅草にお芝居と歴史を訪ねる
 ③落語家・金原亭馬治さんと歩く浅草

 浅草の石碑を歩く
 浅草寺新奥山―記念碑・句碑でたどる浅草
 明治二五年の正岡子規を想う
 川柳発祥の地碑―川柳こそ浅草の文学
 鳥獣供養碑―震災の傷跡
 驚きの発見

 人名・書名・作品名索引


光雲・光太郎父子をはじめ、石川啄木、北原白秋、木下杢太郎、夏目漱石、萩原朔太郎、室生犀星、森鷗外、与謝野晶子ら、関連人物が続々登場、いにしえの少し怪しい浅草が生き生きと描き出されています。

光雲に関しては、『光雲懐古談』(昭和4年=1929)、光太郎に関しては詩「米久の晩餐」が取り上げられています。ただ、残念なことに、光雲と光太郎を混同している記述もあり、目を疑いました。個人の方のブログなどでは時々あるのですが、公刊された書籍ではめったになく、なんだかなあ、という感じでした。

何はともあれ、この書を片手に浅草の街歩きというのもいいかと存じます。ぜひお買い求めを。


【折々の歌と句・光太郎】

茄子胡瓜きりぎりすほど食慾にけだし喰へどもわが痩せにけり

大正13年(1924) 光太郎42歳

身長180センチ以上あった光太郎ですが、横幅は確かにあまりなかったようです。差別的な意図はありませんが、やはり「あんこ型」の愛の詩人、というのは想像しにくいところがあります(笑)。

ところで当方、暑いのでアイスやらアイスコーヒーやらで、少々夏太り気味です(汗)。暑かったり、ひっきりなしに台風が来たりで、愛犬との散歩も春秋より距離が短めですし……。