内容的には一昨日、昨日の記事と前後しますが、碌山美術館さんでの講演の前、8月7日(日)午前中に訪れた豊科近代美術館さんをレポートします。

前夜から宿泊していたのは、青木湖畔のホテルブルーレイク&リゾートさん。例によってさっさと就寝したので、朝は早く目が覚め、湖畔を散策。

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こんな看板がありました。

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「鹿に注意」。鹿なら見てみたいな、と思いましたが遭遇できず。「しか」し、同じ看板の裏は……

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熊はさすがにパスしたいところでした。遭遇せずに済みましたが。

朝食後、ホテルをあとに、愛車を駆って安曇野へ。1時間ほどで豊科近代美術館に到着。

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なかなか瀟洒な建物です。いきなり目的の一つ、高田博厚の彫刻がお出迎え。

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同館の通常展示は、それぞれ光太郎と縁のあった、彫刻家の高田博厚と、画家の宮芳平の作品が中心です。以前から、碌山美術館さんに足を運ぶ際には、近隣の光太郎と縁のあった芸術家の記念館なども訪れる習慣となっており、今回はこちらにお邪魔しました。

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高田の彫刻は展示室に入りきれず、中庭や廊下などにも。

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そして、光太郎の胸像。下記は同館のミュージアムショップで売っているポストカードです。

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同一の型から取ったものは、岩手花巻の花巻北高校さん、埼玉東松山の東武東上線高坂駅前のブロンズ通り、それから福井市立美術館さん、さらに同じ信州の塩尻市にある古田晃記念館さんなどにも収蔵されています。

豊科近代美術館さんの光太郎胸像は、高田が他の日本人芸術家をモデルにした胸像とともに展示されていました。森鷗外、中原中也、佐藤春夫、宮沢賢治、岩波茂雄、岸田劉生、梅原龍三郎、高橋元吉などなど。その人々はそれぞれ光太郎と縁のあった人物でもあり、同窓会というかサロンというか、そんな感じを受けました。

他のジャンルの作品を含め、同時代の彫刻家の中で、早世した碌山荻原守衛を除き、光太郎が最も高く評価した高田の作品は、やはり光太郎のそれにも通じる精神性を感じるものでした。

宮芳平の絵、当方、現物は初めて観ました。鷗外が認めたという、特異な才能を感じました。

そして、高田、それぞれに宛てた光太郎書簡のコピーが展示してあり、興味深く拝見。コピーは以前から観ていましたが、こういう場で観ることで、違った見え方がしました。


他にも信州には、光太郎と縁のあった芸術家の記念館などで、訪れたことのない場所がまだまだあり、来年以降、4月の碌山忌などを使って訪れようと思っております。


【折々の歌と句・光太郎】

ああこれ山空を劃(かぎ)りて立てるもの語らず愚(おろか)さびて立つもの
明治37年(1904) 光太郎22歳

昨日は今年から「山の日」。北アルプスの山々は、やはり素晴らしいビジュアルでした。

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