昨日は、日帰りで花巻に行っておりました。
光太郎が戦後の七年間を過ごした旧太田村に建つ花巻高村光太郎記念館で、現在、企画展「智恵子の紙絵」が開催されています。その関連行事、というわけではないのですが、話がとんとん拍子に進み、テルミン奏者の大西ようこさんと朗読家の荒井真澄さんのコラボによるコンサートが実現しました。
テルミン奏者の大西さん。一昨年に「もう一つの智恵子抄」、「otoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄』」というコンサートを開かれ、それがご縁で昨年の連翹忌でも演奏をしていただきました。
同館にはそうした催しを行うためのホール的なスペースはなく、スタッフの皆さんも、アドバイザーを務める当方も、これまでこうした催しは考えても居ませんでしたが、大西さんが同館を訪れることになる → どうせなら演奏 → それなら荒井さんも巻き込む → 場所はないが、何とかする、という流れで、手前の展示室1(光太郎の彫刻作品が並んでいます)が比較的広いので、そこでやってしまえ、ということになりました。
というわけで、本番は光太郎彫刻に囲まれての演奏・朗読となりました。
これまで様々な機会に光太郎智恵子がらみのコンサート等に足を運んで参りましたが、光太郎彫刻に囲まれてのそれは記憶にありません。
リハーサル風景。
さて、本番。お客様の入りはどうだろうと心配でしたが、何やかやで50名くらいの皆さんが集まって下さいまして、一安心。
仕掛人の一人、花巻高村光太郎記念会理事にして、生前の光太郎をよくご存じの浅沼隆氏が司会。
当方も、一言、ご挨拶申し上げました。
最初は大西さんのソロ。カッチーニの「アヴェ・マリア」など。
テルミンを見るのも聴くのも初めて、という方がほとんどで、興味深く聴かれていたようです。
途中から荒井さんが合流、大西さんの演奏をバックに『智恵子抄その後』の中から、当地に関わる詩篇と散文を朗読されました。
急に決まった企画でしたので、お二人での合わせは当日まで行われず、ある意味、ぶっつけ本番だったそうですが、どうしてどうして、ぴったり息のあったコラボレーションでした。
最後は荒井さんのリードで、会場の皆さんと共に2代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」を歌いました。智恵子の故郷・二本松の皆さんはどなたもご存じの歌ですが、花巻ではどうかと思っていました。しかし、意外とご存じの方が多かったようでした。
盛会のうちに終わりました。
終演後は、皆さんと光太郎が実際に暮らした山小屋(高村山荘)付近を散策したり、記念館の展示を拝見したりしました。
役得で、普段非公開の山荘内部にも入れていただきました。
というわけで、充実の1日でした。
光太郎記念館も、こうしたコンサートなどの新たな活用法の方向性が見え、大きな収穫でした。ただ、どなたにでも会場を開放し、場を提供するというわけにも行かないかとは存じます。今日のこのブログ、題名が「ロビーコンサート」ですが、結局はロビーではなく「展示室コンサート」ですので、そうそういつもいつもこうした場合に対応できません。また、ぜんぜんご存じない方に場を提供し、いざ公演となったらとんでもない内容だった、などということも無きにしもあらずですし……。
今後、こうした活用法も含めて、館のスタッフの方々と詰めて行きたいと思います。
【折々の歌と句・光太郎】
生きの身のきたなきところどこにもなく乾きてかろきこの油蝉
大正13年(1924) 光太郎42歳
昨日は東北でも梅雨明けが宣言されました。高村山荘周辺では、まだ今一つ蝉の声は聴けませんでしたが、地面には幼虫が羽化のため出て来たのであろう穴が目立ちました。