先週、青森十和田湖畔に立つ光太郎最後の大作である「乙女の像」をキーワードにネット検索をしていたところ、熊の出没情報のページが引っかかりました。近くの十和田湖小学校さんでは、熊の糞らしきものが発見されています。 

青森県の熊(クマ)目撃・出没情報

十和田市の乙女の像付近
    • 日時:7月21日午後1時50分ごろ
    • 場所:奥瀬字十和田湖畔休屋「乙女の像付近」の藪

十和田市の「十和田湖小学校」付近
    • 日時:7月12日午後2時ごろ
    • 場所:十和田市奥瀬十和田湖畔休屋
    • その他:クマの”ふん”らしきものを発見


今年は特に東北で、熊による痛ましい事故が相次ぎました。秋田県鹿角市の十和田大湯地区では、山菜採りの方連続して亡くなる被害も出て、十和田湖の近くだから心配だと思っていましたが、先月30日には、十和田湖を泳ぐ熊の姿が撮影されたというニュースも報じられました。

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しかし、十和田湖も広いので、人の立ち入らないエリアでの話だろうと思っていて、まさか、観光施設も建ち並ぶ休屋地区にある、乙女の像の近くに現れるとは思っていませんでした(その「まさか」がいけないのでしょうが)。

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「乙女の像」といえば、上記画像、テレビ東京系のBSジャパンさんで24日の日曜日に放映された「ミステリアス・ジャパン【恐山に並ぶ霊場・十和田湖 ~青森・十和田市~】」から。20秒ほどでご紹介いただきました。


続いて岩手県。

2週間前、岩手花巻の宮沢賢治イーハトーブセンターさんに「宮沢賢治生誕120年記念事業 賢治研究の先駆者たち⑥ 黄瀛展」を観に行った際に、付近に出没したという掲示が出ていました。

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花巻市さんのサイトに、光太郎が7年間を暮らした山小屋(高村山荘)・高村光太郎記念館のある、同市太田地区でも目撃情報があったことが出ています。同じ太田地区でも、山荘や記念館とは少し離れたところでしたが。

記念館では、熊よけのためにラジオ放送を大音量で流したりもしています。

光太郎が住んでいた戦後すぐの時期にも、もちろん熊が居たようで、昭和24年(1949)に書かれた「案内」という詩に、熊が現れます。

    案内000

三畳あれば寝られますね。
これが水屋。
これが井戸。
山の水は山の空気のやうに美味。
あの畑が三畝、
いまはキヤベツの全盛です。
ここの疎林がヤツカの並木で、
小屋のまはりは栗と松。
坂を登るとここが見晴し、
展望二十里南にひらけて
左が北上山系、
右が奥羽国境山脈、
まん中の平野を北上川が縦に流れて、
あの霞んでゐる突きあたりの辺が
金華山沖といふことでせう。
智恵さん気に入りましたか、好きですか。
うしろの山つづきが毒が森。
そこにはカモシカも来るし熊も出ます。
智恵さん斯ういふところ好きでせう。


記念館には、光太郎が実際に使っていた熊よけの鈴も展示されています。

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熊は非常に恐ろしい動物ですが、こうした工夫でかなり被害は防げるはずです。むやみに怖れるあまり、「青森も岩手も行かないよ」ということにはなってほしくないものです。

当方、明後日にも花巻に行って参ります。高村光太郎記念館において、テルミン奏者の大西ようこさん、朗読の荒井真澄さんによるロビーコンサート的な催しがあります。熊には十分注意したいと思います。


【折々の歌と句・光太郎】

ぢりぢりときしる蝉の音すみゆけば耳にきこえずただ空に満つ
大正13年(1924) 光太郎42歳