岩手レポートの3回目です。他にもいろいろ書くことが山積みですので、一気に行きます。

7/13(水)、盛岡少年刑務所さんで開催された第39回高村光太郎祭のあと、花巻高村光太郎記念館スタッフの方お二人と合流、盛岡市内の加藤千晴氏のお宅にお邪魔いたしました。

加藤氏は今年5月15日、第59回花巻高村祭の記念講演で講師を務められました。氏のお母様の加藤照さんが光太郎の従妹(いとこ)、おばあさまの故・中山ふゆさんが光太郎の叔母という方です。ただ、ふゆさんは叔母といっても光太郎と年令が近く(光太郎の6歳上)、光太郎と「ふーちゃん」「みっちゃん」と呼び合う仲だったそうです(光太郎の本名は「みつたろう」です)。戦前にご夫婦で樺太に渡り、豪商として鳴らしたものの、敗戦で状況が一変、戦後になって内地に引きあげ、お嬢さんの照さんの嫁ぎ先の盛岡に住まわれることになったとのこと。

ふゆさんは昭和35年(1960)に亡くなったそうですが、その息女で光太郎の従妹(いとこ)にあたる照さんは、今年ちょうど100歳。少々お耳が遠くなられているものの、お元気で、貴重なお話をうかがうことができました。

また、加藤家に遺る光太郎関連の品々を拝見しました。光太郎やその家族が写っている古写真、光太郎から照さんへの書簡、光太郎の姉で、16歳で夭折した咲が絵を描いた扇子などなど。咲は日本画を狩野派に学び、将来を嘱望されていました。

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千晴氏は、そうした加藤家と高村家の歴史についての手記を執筆され、花巻高村光太郎記念会として出版する予定とのことです。それ以外にも花巻ではいろいろと出版物を刊行する計画があって、当方も関わらせていただくことになり、今回の加藤家訪問につながりました。


その後、千晴氏のご案内で、ご自宅からほど近い、岩山という山へ。こちらは盛岡市街を一望できるスポットでした。

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岩手山や姫神山もよく見えました。

また、こちらにも啄木の歌碑、さらに啄木の銅像も立っていました。
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で加藤氏とは分かれ、花巻高村光太郎記念館スタッフの方に送られて、北ホテルさんに戻りました。

翌日(7/14)、盛岡をあとに、再び花巻へ。この日はそれまでの2日間とは一転、雨でした。

在来線の花巻駅から岩手県交通さんの路線バスに乗り、花巻高村光太郎記念館さんへ。出版関係の打ち合わせは、前日に済んでいましたが、翌日(7/15)から開催の企画展、「智恵子の紙絵」の関連で、寄らせていただきました。

当初は午後2時半からの報道陣向け内覧に出る予定でしたが、早く帰宅せねばならない事情が出来、内覧はパスしました。しかし、職権濫用(笑)で、企画展示室を一足早く拝見させていただきました。


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紙絵の現物は、高村家から20点ほどお借りし、1~2点ずつ展示。元々、記念館で持っている2点の現物と合わせて、3点前後が常に展示されるそうです。上記画像で、中央のガラスケースに入っているのがそれです(周囲の壁に掛けてあるのは複製です)。一日展示すれば、それだけ褪色するという本当にあえかな作品なので、1点の展示期間は短くし、どんどん入れ替えるとのこと。昨日から始まりましたが、最初はチラシにも使われた、こちらの作品が出ています。

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金と銀の部分は、チョコレート系の包み紙ですね。おそらくゼームス坂病院に光太郎が届けた見舞いの品でしょう。

複製の方は、企画展示室に20点ほど、それから普段、常設展示を行っている第二展示室にもパーテーションパネルを出し、さらに20点ほどを展示しています。

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昨日の報道から。 

「智恵子の紙絵」展示/花巻・高村光太郎記念館 原画含む30点 一堂に

 花巻市太田の高村光太郎記念館で、15日から企画展「智恵子の紙絵」が開かれる。詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)の妻智恵子は晩年、作業療法として身の周りにあった色紙や包装紙を切り抜き、台紙に貼り付ける「切り抜き絵」を制作した。光太郎が「紙絵」と名付けた作品が紹介される。
 智恵子は結婚後、自身の油絵に対する芸術的苦悩や実家の一家離散により心の病に侵され、睡眠薬で自殺を図った。一命を取り留めたものの、長い療養生活を送り、1938年に入院先の病院で53歳の生涯を終えた。智恵子は療養中に光太郎に見せるために「切り抜き絵」の制作に取り組んだ。光太郎は岩手と山形、茨城へ紙絵を疎開させて戦争の難から守った。
 智恵子は、花や魚、野菜など身近にモチーフを求め、さまざまな紙をマニュキアばさみで切り抜いて紙絵を制作。独特の色彩感覚による表現方法で、紙の質感を生かした繊細な作品が多い。
 智恵子の紙絵を所有し、今回の企画展に協力している、光太郎の弟の孫高村達さん(48)=東京都=は「デザインを意識したシンメトリーな作品も多い。オリジナルが展示されるのは3年ぶり。これだけの作品が一堂に見られるのは貴重な機会」と話している。
 光太郎没後60年、智恵子生誕130年にちなんだ企画展。展示作品はオリジナルと複製を合わせて約30点。オリジナルは計23点で、期間中に随時入れ替えて紹介される。
 同展は11月23日まで。入場料は、一般550円、高校生・学生400円、小・中学生300円。開館時間は午前8時30分~午後4時30分。
(『岩手日日』) 

智恵子の紙絵 色とりどりに

花巻市太田の高村光太郎記念館で15日から「智恵子の紙絵」展が始まる。光太郎の妻智恵子が療養中に身近にあった色紙や包装紙などを切り抜いて台紙に貼り付けた作品のオリジナルと複製品を展示。同館は「繊細な表現と色彩感覚を見てほしい」としている。
 今年、智恵子の生誕130年、光太郎の没後60年となるのをログイン前の続き記念して開催する。智恵子が1938年10月に亡くなるまで1千点以上を制作した。光太郎は「紙絵」と名付け、戦時中も花巻など地方に疎開させて大切に保管した。光太郎は作品について「智恵子の詩であり、抒情(じょじょう)であり、機知であり、生活記録であり、此(こ)の世への愛の表明である」と記している。
 14日に内覧会があり、光太郎の弟の孫にあたる写真家高村達さん(48)は「オリジナルを展示する機会はあまりない。身近に感じてほしい」と話した。
 11月23日まで。同館と高村山荘の入場料は一般550円など。問い合わせは同館(0198・28・3012)へ。(石井力)
(『朝日新聞』)


ところで、関連行事、というわけではないのですが、ロビーコンサート的な催しが開かれます

期  日 : 2016年7月29日(金)
会  場 : 花巻高村光太郎記念館 第一展示室
時  間 : 13:00~ 40分間ほど
料  金 : 無料
出  演 : 大西ようこ(テルミン)  荒井真澄(朗読)


仕掛人の一人が当方のような部分がありまして……。

まずテルミン奏者の大西さん。一昨年に「もう一つの智恵子抄」「otoyoMuseum 四ノ館『智恵子抄』」というコンサートを開かれ、それがご縁で昨年の連翹忌でも演奏をしていただきました。

その大西さん、7/31(日)に、岩手の大槌町でコンサートをなさるそうで、その前に花巻に泊まって高村光太郎記念館・高村山荘に寄りたい、とおっしゃるので、鉛温泉さんをご紹介しました。すると、どうせなら演奏したい、というお話になり、大西さんと、毎年連翹忌や、智恵子の故郷・二本松でのレモン忌にご参加いただいている花巻高村光太郎記念会の浅沼隆氏とで話がまとまったそうです。

また、仙台ご在住のヴォイスパフォーマー・荒井真澄さんが巻き込まれました(笑)。荒井さんも「無伴奏ヴァイオリンと朗読 智恵子抄」、「シューマンと智恵子抄」などで、光太郎作品を手がけられています。今年の連翹忌で、大西さんと意気投合されたとのこと。

こうした試みは記念館がリニューアルされてから初めてで、どうなることやらというところですが、ぜひ足をお運びください。


話がそれましたが、以上、2泊3日の岩手レポートを終わります。


【折々の歌と句・光太郎】

大海(おほうみ)の圓(まろ)きがなかに船ありて夜を見昼を見こころ怖れぬ

明治39年(1906) 光太郎24歳

もうすぐ「海の日」ですので、今日から海がらみの作品をいくつかご紹介します。

この年、3年半に及ぶ欧米留学のため、横浜港からバンクーバーに向けて出港したカナダ太平洋汽船のアセニアン号の船中で詠んだ歌です。