昨日は、甲府市の山梨県立文学館さんに行っておりました。


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まずは同館にて先週末から開催中の「特設展 宮沢 賢治 保阪嘉内への手紙」を拝見。

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大正のはじめ、賢治と盛岡高等農林学校時代の同級生で、文芸同人誌『アザリア』の仲間だった、山梨出身の保阪嘉内との交流に的を絞った展示でした。

比較的長命だった光太郎と異なり、戦前に数え38歳で歿した賢治ですので、遺っている書簡は多くありません。そうした中で、今回の展示では保阪に宛てた73通もの賢治書簡が展示されていました。俗な話になりますが、まず最初に、市場価格に換算したらどうなるのだろう、と思ってしまいました。一昨日、明治古典会さんの七夕古書第入札市一般下見展観を見ていたせいもあるでしょう。

しかし、賢治独特の丸っこい文字を読み進むにつれ、だんだん二人の交流の深さに引き込まれていきました。賢治と保阪は、賢治童話の代表作の一つ「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカムパネルラに比定されています。

さらに、常設展的な展示も拝見。現在は賢治同様、光太郎と縁の深かった与謝野晶子をはじめ、山梨出身だったり、山梨との縁が深かったりした文学者に関しての展示でした。

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こちらも充実した展示で、興味深く拝見しました。

展示を見終わり、午後1時30分から、特設展の関連行事である講演会「宮沢賢治と保阪嘉内」。講師は渡辺えりさんです。


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えりさんは、平成24年(2012)に初演の舞台「天使猫」で、賢治を主人公とした幻想的な演劇を作られ、そこに保阪嘉内も登場。その戯曲の制作のため、保阪家の皆さんとのご交流がおありだということで、今回の講演が実現しました。

さらにいうなら、そもそもえりさんも、山梨県立文学館のスタッフの皆さんも、当会主催の連翹忌にご参加下さっており、そのご縁もあるかと存じます。また、先月、盛岡で行われた啄木祭での、えりさんのご講演は欠礼しましたので、これは行かねば、というところもありました。

当方、えりさんのご講演拝聴は三度目でしたが、いつもながらに巧みな話術にひきこまれました。お話は、賢治や嘉内の人となり、保阪家の方々との交流などはもちろん、生前の光太郎を知るお父様・渡辺正治氏との関わりから、光太郎にもかなりの時間を割いて下さいました。お父様は賢治の精神にも強く惹かれていたということもあり、光太郎からお父様への書簡(花巻高村光太郎記念館にご寄贈下さいました)には「宮沢賢治の魂にだんだん近くあなたが進んでゆくやうに見えます」との一節があったりもします。

さらに、お父様が戦時中、武蔵野の中島飛行機の工場にお勤めだった頃、空襲で亡くなったご同僚のリーダーが山梨の方で、最近になってお父様とその墓参が実現したお話などもありました。

終演後のえりさん。サイン会の合間にお話をさせていただきました。

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さて、「特設展  宮沢 賢治 保阪嘉内への手紙」は来月末まで開催されています。ぜひ足をお運びください。


【折々の歌と句・光太郎】

飄々と富士の御霊(ミタマ)を訪ひ行けば白雲(ハクウン)満た我にしたがふ
明治32年(1899)頃 光太郎17歳頃

「満た」は「あまた」と読みます。この歌が詠まれたと推定される明治32年(1899)、光太郎は祖父の兼松とともに富士登山を果たしています。

昨日、帰りがけには雄大な姿が拝めました。

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当方、甲府に4年近く住んでいました(今回初めて知りましたが、保阪嘉内は高校の先輩でした)が、最近、甲府に行くたび、甲府から見える富士山はこんなにも大きかったっけ、という感覚です。