昨日の続きになります。光太郎が晩年の7年間を過ごした花巻郊外旧太田村に建つ、高村光太郎記念館を運営されている花巻高村光太郎記念会さんからのいただきものをご紹介します。
旧太田村の高村光太郎記念館とは別に、花巻市街桜町、光太郎が碑文を揮毫した宮沢賢治の「雨ニモマケズ」詩碑近くに桜地人館があります。光太郎没後すぐ、現在の花巻高村光太郎記念会を立ち上げた総合花巻病院長だった故・佐藤隆房氏のコレクションなどが展示されています。今年5月に行われた花巻市主催の市民講座「高村光太郎の足跡を訪ねる~花巻のくらし~」の行程にも入っており、久々に訪問いたしました。その際のレポートがこちら。
そちらのパンフレットも新しいものが作られ、送られてきました。A4判横長三つ折り、両面カラー印刷です。
佐藤隆房と直接親交があった光太郎・賢治の関連の品々、それ以外にも岩手を代表する芸術家ということで、萬鉄五郎や舟越保武の作品などが展示されています。また、パンフレットには紹介されていませんが、光太郎・賢治と繋がっていた草野心平の書、館の前庭には高田博厚作の佐藤隆房像なども。
それからもう一点、今年2月に放映されたテレビ岩手さんの情報番組、「5きげんテレビ」を録画したDVDもいただきました。前述の市民講座「高村光太郎の足跡を訪ねる~花巻のくらし~」の際に拝見し、「下さい」とお願いしておいたものです。
この番組は、平成25年(2013)にNHKさんで放映された連続テレビ小説「あまちゃん」に登場した架空のテレビ局・「岩手こっちゃこいテレビ」制作という設定の架空の番組「5時だべ わんこチャンネル」のモデルとも云われています。
岩手県ご出身の福田萌さんが、司会者の福田萌さん役で(笑)ご登場なさっていました。
さて、本家「5きげんテレビ」。賢治生誕120年にちなむシリーズの一環で、「賢治と光太郎」という切り口での放送でした。レポーターは六串しずかさんという方。
まずは旧太田村の高村光太郎記念館の紹介。
「賢治と光太郎」ということで、展示品の中のこんなものも。
賢治の実弟・清六と光太郎が編集し、装幀・題字も光太郎が手がけた日本読書購買利用組合(のち、日本読書組合)版の『宮沢賢治文庫』です。テロップが誤っており、発行は昭和21年(1946)~24年(1949)です。こちらは元々当方の蔵書で、記念会さんにお貸ししています。
昨年のNHKさんの「歴史秘話ヒストリア ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」」の回では、やはり当方がお貸しした『智恵子抄』が写りましたが、妙な気分です。
閑話休題。続いて記念会さんで取り組んだ、光太郎日記を元にした、光太郎の食事の再現。
これで朝昼晩の三食分ですが、そば粉パンやら馬肉入りの汁物やら、なかなか豪勢です。
さらに記念館に隣接する高村山荘(光太郎が7年間暮らした山小屋)からのレポート。当時を知る地元の方々もご出演なさり、光太郎との思い出を語って下さっていました。
こんなコーナーもありました。
視聴者の皆さんは、リモコンの赤青黄のボタンを押す、ではなく、電話で参加。スタジオにオペレーターさんたちがいらっしゃる、という点で笑えました。
さて、問題は……。
これだけだと、①、②、③、全て正解ですが、光太郎が好きで、なおかつ旧山口小学校の校章デザインに使われた、という条件がつきます。おわかりでしょうか。
正解はこちら。
上記の幔幕は、詩集『典型』(昭和25年=1950)が第2回読売文学賞に選ばれた際の賞金が化けたものです。デザインの原案も光太郎です。
締めは高村光太郎記念館、高村山荘の案内。
ぜひとも全国ネットでも放映してほしいような内容でした。
上記の桜地人館ともども、ぜひ足をお運び下さい。
【折々の歌と句・光太郎】
少女等よ眉に黛(すみ)ひけあめつちに爾の如く醜きはなし
明治42年(1909) 光太郎27歳
欧米留学からの帰国直後、昨日も同趣旨の短歌をご紹介しましたが、日本人女性をこきおろす短歌が数多く作られました。
女性の皆さん、気を悪くなさらないで下さい。あくまで光太郎独自の感想ですので、当方の見解とは異なります(笑)。