光太郎が晩年の7年間を過ごした花巻郊外旧太田村に建つ、高村光太郎記念館を運営されている花巻高村光太郎記念会さんから、いろいろといただきものがありましたので、ご紹介します。

まず、記念館および隣接する高村山荘(光太郎が7年間暮らした山小屋)の新しいパンフレット。

A4判を横に2枚繋げた大きさで、両面カラー印刷、折りたたみ式。

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おおむね見開き2ページずつで一つの面になっています。

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なかなかの情報量ですし、よくまとまっています。また、QRコードが印刷されており、スマホで読み込むと、記念館内の360度ビューが見られるとのこと。ハイテクです。


過日ご紹介しましたが、花巻高村光太郎記念館さんでは、来週末から企画展「智恵子の紙絵」が開催されます。
下記は今月号の「広報はなまき」に載った案内です。

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ぜひ足をお運びのうえ、新しいパンフレットもご入手下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

海の上ふた月かけてふるさとに醜(しこ)のをとめらみると来にけり

明治42年(1909) 光太郎27歳

欧米留学から帰国直後の作。日本女性に対しても、光太郎は絶望していました。