先週、娘が迷い猫を拾ってきました。
猫を拾ってくる娘というと、小学生くらいの女の子をイメージする方が多いかと存じますが、うちの娘は今年24になります。もっとも、中身は小学生とあまり変わらなかったりしますが(笑)。その娘も、それから妻も外で仕事をしていますので、いきおい、昼間は当方が面倒をみるしかありません。まぁ、世話といっても時折餌と猫牛乳をやるくらいで、あとはほとんどほっぽっていますが(笑)。
光太郎智恵子も駒込林町のアトリエで、猫を飼っていました。
大正15年(1926)、雑誌『詩神』に載った光太郎の談話筆記「生活を語る」に、次の一節があります。
家畜は犬が大変好きですがよく留守にするので飼わないのです。猫は飼つてゐたことがある。これは自活をしてゐたのです。岡田三郎助さんから黒い猫を貰つてきたので、すばらしくいゝ猫だつたのです。
岡田三郎助は洋画家。光太郎智恵子夫妻と家族ぐるみでつきあいがありました。
また、昭和26年(1951)、『高村光太郎選集』第三巻の附録に載った森田たまの回想。大正5年(1916)頃の話です。
早春の一日、偶然町角で出会つたいまの夫を、私はふと思ひついて高村家へ連れて行つたのである。高村さんも智恵子夫人も、突然の訪問者をいぶかりもせず、あたたかくもてなして下すつた。(略)つやつやとした黒猫がゐて、それが夫の膝にのつたのを、この猫は他人の膝にのつた事はないのだと、猫に好かれた事が夫の性質の善良さを表はすやうに云つて下すつたりした。
その大正5年(1916)には、光太郎、そのものずばり「猫」という詩も書いています。翌年の雑誌『詩歌』に発表しました。
そんなに鼠が喰べたいか
黒い猫のせちよ
どんな貴婦人でも持たない様な贅沢な毛皮を着て
一晩中
塵とほこりの屋根裏に
じつと息をこらしてお前は居る
生きたものをつかまへるのが
そんなにもうれしいか
そんなにも止みがたいか
ああ、此は何だ
此は何だ
黒い猫のせちよ
お前はそれで美しい
かぎりなく美しい
だが私の心にのこる恐ろしい此は何だ
動物をモチーフにしている点、自らの荒ぶる魂を投影している点など、数年後に始まる連作詩「猛獣篇」の序曲ともいえる作品です。
「セチ」というのが高村家の猫の名前でした。奇妙な名前ですが、その由来は智恵子が岡田三郎助の妻、八千代に送った書簡で明らかになりました。大正4年(1915)10月の消印です。
ほんとにきれいなのでよろこんで居ります
厚く御礼申上ます おとなしいひとですね
お宅ぢや惜しかつたでせうつて話して居ります
セチつてつけてやりました あの眼が
そんな気がしたのです セチつて星はセチの
オミクロンていふんですつてね
此度田村さんへ御出の時 どうぞお寄りに
なつて あれの様子を見てやつて下さいまし
いけないとこがあるといけませんから
きのふは少しシヨゲてましたがけふは元気に なれて
しまひました 高村から御主人にくれぐれ
よろしくつて申上ました
どうぞ 御遊びにいらして下さいまし
御礼まで 艸々
廿六日夕
岡田八千代様
高村智恵
「田村さん」は作家の田村俊子。智恵子、岡田八千代ともども、初期『青鞜』メンバーです。
「おとなしいひとですね」って、人じゃないぞ、と突っ込みたくなります(笑)。もっとも、光太郎と縁の深かった当会の祖・草野心平は、酒に酔うと、腹を空かせた野犬を前に「犬だってニンゲンだ!」と叫んだといいますので……。この人たちの感覚はやはり違うのかも知れません(笑)。
「セチ」は星座の鯨座のラテン名「Cetus」の所有格「Ceti」から採った名前だということがわかります。「オミクロン」は鯨座を構成する星の一つだそうです。猫の眼がこの星のようだということですが、「セトゥス」や「オミクロン」では呼びにくかったのでしょう。しかし、洒落た名前の付け方ですね。うちの猫は本名「ツナ缶」、通称「ツナ」になってしまいました(笑)。ちなみに雌です。「セチ」は雄雌どちらだったのでしょうか。
「ツナ」嬢、当方がパソコンに向かって椅子に座っていると、脚から膝、さらに肩までよじ登ってきます。迷い猫だったわりに人なつこいというか甘えん坊というか……。さすがにパソコンを打つ時は邪魔ですので、別室で遊ばせていますが、原稿のチェックなど、その別室でもできる仕事の時には、かまってやりながらやっています。
それにしても、自宅兼事務所には元々柴犬系雑種犬も一頭いて、朝夕それぞれ1時間弱の散歩もしなければならず、すっかり「いきものがかり」です(笑)。まぁ、どちらも癒してくれるのでいいのですが……。
【折々の歌と句・光太郎】
毒物を置きて鼠にあたへむとしつつきびしき寒夜を感ず
昭和22年(1947) 光太郎65歳
「寒夜」ということで季節外れですが、ご容赦を。
花巻郊外太田村の山小屋(高村山荘)での作です。光太郎、7年間の山小屋生活は、ずっと鼠との共同生活でした。毒を食べた鼠が井戸に落ちて死んでいたなどということもありました。そんなことから、山小屋生活の後半では、もはやあまり気にしなくもなったようです。もしかすると、黒猫の「セチ」を思い出していたかも知れません。