北海道帯広に本社を置く『十勝毎日新聞』さんに、1週間前に載った記事です。
原発事故への思いCDに 福島出身の村越さん 芽室
福島県出身で町内在住の元高校教諭、村越英男さん(85)が2011年の福島第1原子力発電所事故を契機に制作してきた詩を基に、知人の協力でCD「朗読集 望郷」を製作した。古里の言葉で朗読した村越さんは、原発事故で一変した福島の人々の日常に寄り添いながら、少年時代を過ごした古里への思いを込めた。
村越さんは、県中央部に位置する川東村(現須賀川市)出身。職業軍人に憧れ、1945年に陸軍の技能者養成所へ入り、終戦を迎えた。戦後は教員の道へ進み来道。士別高校(士別市)や芽室高校の教諭を務めながら、原水爆禁止などの平和運動やそば打ち、合唱に汗を流した。書道には幼少期から親しみ、芽室高では書道部の顧問も務めた。
今回、朗読した「望郷」は、11年に知人から「芽室そば研究会の会長退任の花道に」と展示会の開催を持ちかけられた時に書いたもの。
製作期間中に東日本大震災と原発事故が発生し、避難した親族もいた。
「事故が起こるまで福島にあんなに原発があったとは知らなかった。幼い頃を過ごした豊かな福島はどうなってしまうのか」。村越さんは高村光太郎の詩をモチーフに、避難せざるを得なかった住民への同情や、原発を推進した国やマスメディアへの怒りを込め、「望郷」を書き上げた。
CD化は、昨年末に町内で平和を考えるイベントを企画した有志が「望郷」の展示を依頼したのがきっかけ。「書だけでなく、声でも参加してもらおう」と村越さんの朗読を録音し、会場で流した。
有志に加わっていた元小学校教諭の岡田幸造さん(62)は「福島弁で語りかけられ、涙が出るほど感動した」といい、有志で編集委員会をつくり、録音から表紙までCDを自作。望郷の他にも村越さんが書にしたためた詩なども収められた。村越さんは「伝えたかった思いを形にしてくれてありがたい」と話す。
CDは「材料費程度の負担で頒布したい」と岡田さん。
今回、朗読した「望郷」は、11年に知人から「芽室そば研究会の会長退任の花道に」と展示会の開催を持ちかけられた時に書いたもの。
製作期間中に東日本大震災と原発事故が発生し、避難した親族もいた。
「事故が起こるまで福島にあんなに原発があったとは知らなかった。幼い頃を過ごした豊かな福島はどうなってしまうのか」。村越さんは高村光太郎の詩をモチーフに、避難せざるを得なかった住民への同情や、原発を推進した国やマスメディアへの怒りを込め、「望郷」を書き上げた。
CD化は、昨年末に町内で平和を考えるイベントを企画した有志が「望郷」の展示を依頼したのがきっかけ。「書だけでなく、声でも参加してもらおう」と村越さんの朗読を録音し、会場で流した。
有志に加わっていた元小学校教諭の岡田幸造さん(62)は「福島弁で語りかけられ、涙が出るほど感動した」といい、有志で編集委員会をつくり、録音から表紙までCDを自作。望郷の他にも村越さんが書にしたためた詩なども収められた。村越さんは「伝えたかった思いを形にしてくれてありがたい」と話す。
CDは「材料費程度の負担で頒布したい」と岡田さん。
問題の詩は、ネットで調べたところ、震災の年にアップされていた「やまざきあきら」さんという方のブログに引用されていました。
望郷ーあれが安達太良山、あの光るのが阿武隈川
なして? どうして?!
私の生まれ育ったフクシマ
いつでも人様に尽くすことを喜ぶ
やさしさにあふれた人たち。
なして、いつの間にの怖ろしい原発を
あんなにもたくさん作らされていたの。
そんなに東京の人たちが大事だったんだべか。
マデに(真面目に質素に)生きていくべって
カネ目当ての町村合併まで拒んだ飯舘村の人たち、
なして、あんたたちまで田んぼやベコまで捨てて
いったい、どこさ逃げさせられるだっぺ!
原発は金になっからと素直な県民をおだてだましてきた、
時の政治家や財界の偉い人たち、
そして安全だから大丈夫だからと煽り続けた
学者マスコミの人たち。
3月11日の後、大熊町に来て切腹した人でもいたったべか!
家族ぐるみで移り住んで後片付けしているんだべか。
フクシマの「善人」たちよ、もうあん人たちの
口車には乗せられないでよ!
あれが安達太良山 あの光るのが阿武隈川
なして? どうして?!
私の生まれ育ったフクシマ
いつでも人様に尽くすことを喜ぶ
やさしさにあふれた人たち。
なして、いつの間にの怖ろしい原発を
あんなにもたくさん作らされていたの。
そんなに東京の人たちが大事だったんだべか。
マデに(真面目に質素に)生きていくべって
カネ目当ての町村合併まで拒んだ飯舘村の人たち、
なして、あんたたちまで田んぼやベコまで捨てて
いったい、どこさ逃げさせられるだっぺ!
原発は金になっからと素直な県民をおだてだましてきた、
時の政治家や財界の偉い人たち、
そして安全だから大丈夫だからと煽り続けた
学者マスコミの人たち。
3月11日の後、大熊町に来て切腹した人でもいたったべか!
家族ぐるみで移り住んで後片付けしているんだべか。
フクシマの「善人」たちよ、もうあん人たちの
口車には乗せられないでよ!
あれが安達太良山 あの光るのが阿武隈川
元ネタは、『智恵子抄』にも収録された「樹下の二人」ですね。作者の村越さんは、須賀川のご出身だそうで、そういう立ち位置にいらっしゃる方でなければ書けない内容だと思います。
今年の九州の震災では、改めて原発問題を考えさせられました。
あまり報じられていませんが(あまり報じられないところに何らかの圧力を感じます)、九州電力の黒川第一発電所(水力)の施設が崩落しました。これが原発だったらと思うと、ぞっとします。
震源域に近い川内原発は、「停止すべき」という声が上がっていたにもかかわらず、運転続行。「停止すべき」という声に対しては、「被災者の皆さんが電気を使えなくなったら困る」と、問題のすり替え。昨年、再稼働するまで川内原発以外の発電所で作られた電力で十分にまかなえていたわけですから。そして余震の群発がほぼ納まると、「結局、何もなかったじゃないか」。何かあってからでは遅いのですが……。
さて、参議院選挙が公示されました。先の「大義なき解散」といわれた一昨年の衆議院選挙でもそうでしたが、原発問題は全くといっていいほど争点に上げられていません。震災後の東北を50回以上訪れた当方としては、それでいいのだろうか、と思ってしまいます。
【折々の歌と句・光太郎】
ていねいにかさなり合ひてまんまろく玉菜のあつ葉たたまるやさしさ
大正13年(1924) 光太郎42歳
「玉菜」はキャベツです。この時代には農作物の放射能汚染など、考えられなかったでしょうね。