昨日、埼玉県東松山市の元教育長で、生前の光太郎をご存じの田口弘氏から、市へ光太郎の肉筆資料等のご寄贈があった旨ご紹介いたしました。その件が今日、『東京新聞』さんの埼玉版で報じられています。今日の時点で、他紙では報じられていないようですが、今後、記事が出る可能性もありますので、しばらく様子を見てから『東京新聞』さんの記事をご紹介します。
今日は、1週間前の『日本経済新聞』さんに載った記事から。
「リーダーの本棚 辺境から世界を見つめる」と題された読書面の記事で、世田谷美術館館長の酒井忠康氏へのインタビューです。
酒井氏がピックアップされた「私の読書遍歴」という項に、光雲談話筆記『光雲懐古談』が紹介されています。
インタビュー本文は長い上に、光太郎、光雲、智恵子の名が出て来ませんので、テキスト化はしません。上記画像、クリックで拡大しますので、そちらでお読み下さい。
当方の書架には酒井氏が関係された書籍が何点かございます。
『日本の近代美術11 近代の彫刻』(大月書店 平成6年=1994)。酒井氏の責任編集です。「高村光雲《老猿》」「高村光太郎《腕》」という章があり、ともに神奈川県立近代美術館学芸員(当時)の堀元彰氏のご執筆です。
『高村光太郎 いのちと愛の軌跡』(山梨県立文学館 平成19年=2007)。同名の企画展図録です。酒井氏の論考「高村光太郎の留学体験」が掲載されています。また、同展の関連行事として、酒井氏、当時の同館館長の近藤信行氏、光太郎令甥の故・高村規氏のお三方による鼎談「高村光太郎の人生 パリ・東京・太田村」も開催されました。
『画家の詩、詩人の絵 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく』(青幻舎 平成27年=2015)。昨年の平塚市美術館さんから全国巡回が始まり、現在、最後の巡回先の北海道立函館美術館さんで開催中の同名の企画展図録を兼ねた書籍です。平塚市美術館館長代理・土方明司氏(光太郎と縁が深く、酒井氏の師でもあった美術史家・土方定一の子息)の司会で、信濃デッサン館・戦歿画学生慰霊美術館無言館館長・窪島誠一郎氏との対談が収録されています。光太郎についても触れられています。
昨年、NHKさんの「日曜美術館」で、「一刀に命を込める 彫刻家・高村光雲」が放映されました。光雲制作の秘仏が初めて御開帳された「高野山開創1200年 金堂御本尊特別開帳」にからめての企画でしたが、ディレクター氏は、同番組のブログで、そもそものきっかけは『光雲懐古談』の衝撃的な面白さだったと述べられています。
内容もさることながら、光雲の語り口の妙、たしかに「衝撃的な面白さ」です。この点は、光太郎も影響を受けているのではないかと思われます。光太郎の文章も非常に読みやすく、範としたいものですが、その素養のある部分は、非常に語りがうまかったという光雲から受け継いでいるような気がします。
岩波文庫版はまだ版を重ねているようですので、ぜひお読み下さい。
【折々の歌と句・光太郎】
森々と更け行く闇のむかつをにひとりたのしむ電(いなづま)のかげ
明治32年(1899)頃 光太郎17歳頃
「むかつを」は「向つ丘」。「向こうに見える丘」といったところでしょうか。万葉集などに使われている古語です。