埼玉県のローカルテレビ局、テレ玉さんが昨日報じたニュースです。

高村光太郎と親交があった男性 直筆書簡などを寄贈

詩人、彫刻家として知られる高村光太郎と親交があった男性が高村光太郎から送られた書簡や書籍など100点あまりを東松山市に寄贈しました。東松山市役所を訪れたのは、市内在住で、市教育長を17年間務めた田口弘さん(94)です。田口さんは、旧制中学時代に高村光太郎の研究をはじめ、その時に使っていたノートが「高村光太郎選集」の編集に資料として使われたことから、20歳の頃に高村光太郎と出会い、高村から詩集を贈られるなど交流を続けました。「高村光太郎がライフワーク」と話す田口さんが集めた書籍およそ80冊や直筆の書簡、掛け軸など、およそ100点が寄贈されました。東松山市の森田光一市長は、「市の宝として、多くの人に見てもらえるようにします」と感謝の意を述べました。田口さんから寄贈された書籍などは、8月10日から28日まで市立図書館で一般公開されるということです。

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田口氏は記事にもあるとおり、東松山市の教育長を永らく務めた方です。その間、今も同市で開催されている日本スリーデーマーチの誘致、運営や、東武東上線高坂駅前からのびる「彫刻通り」の整備などにも力を注がれました。「彫刻通り」は光太郎と縁の深かった故・高田博厚の作品――光太郎胸像を含む――を屋外設置したものです。また、やはり氏のお骨折りで、市立新宿小学校さんには、光太郎の筆跡を刻んだ「正直親切」の石碑が昭和58年(1983)に建立されています。

当方、昨年、東松山の田口氏のご自宅を訪問させていただきました。かつて光太郎命日の集い・連翹忌にご参加いただいていましたが、最近はご高齢のため遠出は不可能とのことで、ご欠席が続いており、10年ぶりくらいにお会いしました。その際のレポートがこちら。氏と光太郎の縁や、今回寄贈された品々の簡単な解説も載せてあります。

その折に、その品々の寄贈先についてのご相談も受けました。当会に寄贈、というお話もあったのですが、それよりも地元のお宝として、市に寄贈されるか、花巻の高村光太郎記念館さんなどの施設に寄贈されるかした方が良いでしょうというお話をして参りました。結局、市に寄贈なさったというわけです。

過日、東松山市立図書館さんから光太郎関連資料の寄贈を受けた旨、メールを戴きました。その中の書簡一通についてのご質問でしたが、個人情報保護の観点からでしょう、最初は田口氏の名は書かれていませんでした。しかし、「東松山」「光太郎」「寄贈」で、田口氏だとピンと来ました。はたしてその通りだと追伸のメール。ただ、失礼ながらお年がお年ですので、亡くなられ、ご遺族からの寄贈かとひやっとしましたが、それは違うとのことで安心しました。

テレ玉さんで、市立図書館さんでの公開については触れられていましたが、さらに会期中に田口氏ご本人の講演も企画されているとのことです。戦後の光太郎をご存じの方はまだ多くご存命ですが、花巻疎開前の駒込林町アトリエ時代をご存じの方はめっきり少なくなりました。非常に貴重な証言が聴けるはずです。

東松山での展覧会については、詳細が出ましたらまたご紹介します。


【折々の歌と句・光太郎】

稲妻や旅の靴ぬぐ夕まぐれ        明治42年(1909) 光太郎27歳

そろそろ梅雨も終わりに近づいています。そうすると大気の状態が非常に不安定。九州などでは豪雨の被害も出ています。雷や突風、低い土地への浸水など、十分お気を付け下さい。