光太郎を敬愛していた彫刻家の故・舟越保武氏の長女にして、絵本作家・編集者の末盛千枝子さんによる自伝的エッセイ『「私」を受け容れて生きる 父と母の娘』。「千枝子」と言う名を光太郎に付けて貰った経緯や、それがその後の人生に及ぼした影響などにも触れられています。

だいぶ好評のようで、もともと連載されていた新潮社さんのPR誌『波』に載った中江有里さんによるそれを皮切りに、あちこちに書評が出ています。『日本経済新聞』さんと、『朝日新聞』さんに載ったものがこちら。『福島民報』さん他の地方紙に載った評はこちら

約一週間前に、『毎日新聞』さんにも載りました。 

『「私」を受け容(い)れて生きる 父と母の娘』 神様に「逃げなかった」と言いたい 末盛千枝子(すえもり・ちえこ)さん

 ターシャ・チューダーやM・B・ゴフスタインなどの000名作絵本の数々を世に送り出してきた編集者が自らの人生を振り返った。「ああいうことも、こういうこともあったなあ、と思い出しながら書くのは楽しい作業でした」と感慨深げに語る。
 1941年、彫刻家・舟越保武の長女として生まれた。「千枝子」という名は、父が面識のなかった高村光太郎を突然訪ね、つけてもらったという。後に、深いカトリック信仰に根ざした崇高な作品を残した父は、だじゃれや落語を愛する意外な一面も持っていた。「志ん生はテープで繰り返し聴いていました」
 家族の笑い声が聞こえてきそうな幼少時代だが、長女として我慢することもあったらしい。そんな時、絵本が近くにあった。
 「私にとって絵本は、希望を語るものであり、悲しむ子どものそばに寄り添ってくれるものだった」と記す。「自分がこれと思う本を一生の間に一冊でも」。大学を卒業すると、絵本の出版社「至光社」で働いた。
 主に海外版の編集に携わった後、NHKの音楽番組のディレクター、末盛憲彦と結婚。2人の息子を授かる。だが結婚から11年、夫が急死する。
 「たいまつを引き継ぎたい」。人々の心に光をともすのは音楽も絵本も同じ。「G・C・PRESS」で再び絵本の仕事をはじめ、『あさ One morning』で国際賞を受賞、やがて自ら「すえもりブックス」を創設する。皇后さまの『橋をかける 子供時代の読書の思い出』を出版し話題になった。
 青春時代に親しかった哲学者の古田暁(ぎょう)と再会、95年に2度目の結婚をする。このくだりは「書きにくかった」とはにかむ。2013年の古田の死去後、半世紀ほど前にバチカンで、若い2人がローマ法王に謁見している写真が見つかった。「知り合いの修道院の院長から『ジグソーパズルの最後のピースが出てきたのですよ』と言われ、気持ちが助かりました」
 顧みれば、波瀾(はらん)万丈な人生ではなかったか。「それは特にありません」と首を振り、「大変だと思ったことも、乗り越えた時の喜びがあると考えれば、それはそれで良いかな」と続ける。「たぶん、私は死ぬ時に言うと思います。『逃げませんでしたよ。これでいいですね、神様』と」<広瀬登>


それから『読売新聞』さん。ただし、こちらでは光太郎について触れられていません。 

『「私」を受け容れて生きる』 末盛千枝子さん

 写真撮影のため本にちなむものを頼むと、父が作001ったブロンズのレリーフを持ってきてくれた。自分の結婚式の引き出物だという。
 彫刻家、舟越保武さんの長女として生まれ、結婚や出産を挟んでタシャ・チューダーをはじめ絵本の出版を手掛け、「すえもりブックス」を設立。皇后さまの講演をまとめた本などを出版した。その著者が、人生を振り返った。
 「人生は、自分が思うようにはなりません。成るようになるものですね」。撮影の間、穏やかにほほ笑んだ。
 疎開先の自然豊かな岩手で育った少女時代。苦労する両親を見て芸術家だけとは結婚しないと思い、人生に臆病だった若い頃。30歳のとき出会い、仕事から帰ると子供のオムツにアイロンをかけるほど優しかった最初の夫は、自宅で突然に倒れて亡くなった。
 <パパは あをい そらの てんごくにいるのです(略)だから かそうばで やくのは ぬけがらだけです>
 幼い孫に、保武さんはこんな手紙を書いたという。
 「つらい出来事が起きた直後には、希望なんて見えません。でも、逃げずにいれば、それらと一緒に生きていけるように感じる。悲しみや苦しみに意味があると思えるようになる。悩むからこそ、人は色々なことを考え、深まってゆくのではないでしょうか」
 障害を抱えた長男、再婚した夫とともに、東京から岩手県八幡平市に引っ越し、東日本大震災を経験した。その後、2度目の夫も亡くしている。現在は被災地の子どもに絵本を届ける「3・11 絵本プロジェクトいわて」を発足させ、代表を務める。
 「津波で本を流された子どもが保育園に置いた段ボールの中から同じ本を見つけ、抱きしめた時の顔。本好きの同志として、忘れられませんでした」(新潮社、1600円)


先週水曜日には、NHKさんで午前中に放映されている「ひるまえほっと」という情報番組に、やはり中江有里さんがご出演、「中江有里のブックレビュー・6月の3冊」というコーナーで、この書籍を取り上げて下さいました。

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当方、たまたま運転中で、カーナビにはNHKさんが流れており、突然この書籍の紹介が始まったので驚きました。そういうわけで録画できなかったのが残念です。


さて、『「私」を受け容れて生きる 父と母の娘』。新潮社さんから好評発売中。ぜひお買い求め下さい。


【折々の歌と句・光太郎】

かたつむり早く角出せと思へどもじつと静まり蘭の根にねむる
大正13年(1924) 光太郎42歳

梅雨時というと、カタツムリですね。

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似たようなナメクジは許せませんが、なぜかカタツムリは愛らしいイメージがあるというのが不思議なところです。

光太郎、カタツムリを木彫で作っています。ただし、それがメインではなく、蓮根に添えてアクセントにしたものです。画像は光太郎令甥にして写真家だった故・髙村規氏の撮影になるものです。

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