昨日の『福島民報』さんに載った記事に「ほんとの空」の語が。
ただ、状況をわかりやすくするために、同じイベントを報じた『朝日新聞』さんの記事を先に紹介します。
エアレース、日本人優勝
プロペラ飛行機の世界レース「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ」の決勝が5日、千葉市美浜区の幕張海浜公園であった。日本人パイロットの室屋義秀選手(43)が初優勝、約5万人の観衆が華麗な舞に歓声を上げた。レースには14人のパイロットが参戦。海上に設置した高さ25メートルの複数のエアゲログイン前の続きートを通過するなどしてタイムを競った。室屋選手は2009年から参戦し、過去最高は3位。会見で「難しい世界だったが、やっと(1番が)取れた」と喜びをかみしめた。
千葉)幕張の空、最速飛行機が舞う 室屋選手Vにわく
最高時速370キロのプロペラ飛行機が今年も幕張の空を舞った。5日、千葉市美浜区の幕張海浜公園で開幕した「レッドブル・エアレース千葉2016」(朝日新聞社など後援)。4日の予選が悪天候で中止となり、5日開幕となったこの日は決勝に国内外から5万人が来訪。日本人パイロット室屋義秀選手(43)の初優勝にわき上がった。地元住民による「おもてなし」もバラエティーに富み、大会実行委員会は昨年、今年に続き来年も「千葉開催」の方針を示した。
決勝レース開始前、会場の幕張海浜公園のメディアセンターで大会実行委員会のエリック・ウルフ氏、同公園が立地する地元の熊谷俊人市長、飛行機格納庫が置かれた浦安市の松崎秀樹市長が記者会見した。
会見では両市長とも昨年の大会に比べ市民の関心、協力度がアップしたと述べた。その上で来年以降の日本開催の方針を報道陣に尋ねられたウルフ氏は「来年も千葉で開催したい」と語った。
ウルフ氏は以前から①千葉市が日本の民間航空発祥地であり歴史がある②長い人工海浜に面した会場はスピードレースになる③東京に近い――などを千葉開催の利点に挙げていた。
今年は、さらに「市民など関係者の理解や支援」が今後の開催の後押しになった。ウルフ氏は「世界規模大会では民間の支援が不可欠。(前回、今回の千葉開催で)積み上げた自信、経験、ノウハウに手応えを感じる」と強調した。
レース終了後には、初優勝を飾った室屋選手が会見に臨んだ。「母国レースでプレッシャーがあった。努力を100%したなら結果は神様に預けましょうという気持ちだった」とし、「千葉が特別な思い出の場所になりました」と語った。(大和田武士、滝口信之)
というわけで、「空のF1」とも呼ばれる「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ」。F1レース同様、世界各地を転戦しますが、今シーズンの第3戦が千葉市で開催され、見事、唯一の日本人出場者・室屋義秀選手が優勝しました。
室屋選手、福島市ご在住だそうで、『福島民報』さんの記事が以下の通りです。
「サムライ」夢かなえる レッドブル・エアレース優勝の室屋選手(福島在住)
夢は追い続ければきっとかなう-。5日に千葉市で繰り広げられた「レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ2016第3戦」で初優勝した福島市在住の室屋義秀選手(43)は、レース後の記者会見で“ほんとの空”から追い求めた夢の結実を喜んだ。「航空文化の魅力を福島に広めたい」。唯一の日本人として世界に斬り込むサムライパイロットの夢舞台は続く。
上位4選手で競う決勝戦「ファイナル4」。優勝が決まった瞬間、室屋選手は関係者と抱き合った。涙が頬を伝った。
頂への道のりは平たんではなかった。「世界一のパイロットになる」と決め、20歳の頃に渡米。苦学して軽飛行機の操縦免許を得た。平成11年に拠点を福島市の農道空港「ふくしまスカイパーク」に移した。エアレースに初参戦したのは21年。世界の強豪を相手に苦杯をなめ続けた。テクニックを磨き上げ、機体改良を重ねた結果、昨季の中盤からようやく結果が伴うようになった。さらなる飛躍が期待された今季だったが、第1戦、第2戦ともに重力加速度(G)超過で失格を喫した。機器トラブルや気負いもあった。
満を持して臨んだ第3戦。千葉会場はG超過が出やすいコースとされる。周囲が失格を恐れて慎重な操縦を心掛ける中、攻めの姿勢を崩さなかった。機体と気力が一体化し、栄冠を手繰り寄せた。昨年の千葉大会を飛んだのが人生最高の日だった。「人生最高の日を更新できた」。笑顔がはじけた。
「多くの協力や支援があってここに立てた。良い知らせを福島に届けられて本当にうれしい」。次の人生最高の日の更新に向けて新たな航跡を描く。
■関係者祝福「第2章始まる」
関係者は歓喜に沸いた。ふくしまスカイパークの指定管理者・NPO法人ふくしま飛行協会の斎藤喜章理事長は、共に歩んだ歳月を思い出しながら、「福島の復興のために飛ぶと宣言し、努力を積み重ねた。重圧をはねのけて地元開催で見事に羽ばたいた。第二章が始まる」とさらなる飛躍を願った。
ふくしまスカイパークに軽飛行機の研究開発施設を整備している自動車部品会社サード(本社・愛知県豊田市)の佐藤勝之社長は技術面で支援。「福島に元気を届けられてうれしい。今後も協力して飛行機の機体開発をしていきたい」と連携を誓った。
同窓生も快挙に沸いた。同じ中央大出身の小林香福島市長は現地で声援を送った。「市民、県民の大きな喜びであり、励みだ」と拍手を送った。中央大学員会福島白門会の杉原長次事務局長は「福島の子どもたちに夢を与えてくれた。室屋さんに憧れてパイロットを目指す子どもが増えてほしい」と期待した。
スポンサー契約を結んだレクサスは「(レクサスは)日本発のブランドとして卓越した操縦技術で世界と戦う室屋選手を応援している。残り5試合もサポートし、世界の舞台で驚きと感動を提供し続けてほしい」とコメントした。
■「来年も千葉で」
レッドブル・エアレース社のエリック・ウルフゼネラルマネジャーは5日、本選前の記者会見で「次も千葉で開催したい」と述べ、来年も国内開催を継続する考えを初めて明らかにした。
千葉県を開催地候補に挙げた理由について、「行政や関係機関の理解や支援が大きい」と説明した。国内では昨年から千葉県でレースが行われている。
上位4選手で競う決勝戦「ファイナル4」。優勝が決まった瞬間、室屋選手は関係者と抱き合った。涙が頬を伝った。
頂への道のりは平たんではなかった。「世界一のパイロットになる」と決め、20歳の頃に渡米。苦学して軽飛行機の操縦免許を得た。平成11年に拠点を福島市の農道空港「ふくしまスカイパーク」に移した。エアレースに初参戦したのは21年。世界の強豪を相手に苦杯をなめ続けた。テクニックを磨き上げ、機体改良を重ねた結果、昨季の中盤からようやく結果が伴うようになった。さらなる飛躍が期待された今季だったが、第1戦、第2戦ともに重力加速度(G)超過で失格を喫した。機器トラブルや気負いもあった。
満を持して臨んだ第3戦。千葉会場はG超過が出やすいコースとされる。周囲が失格を恐れて慎重な操縦を心掛ける中、攻めの姿勢を崩さなかった。機体と気力が一体化し、栄冠を手繰り寄せた。昨年の千葉大会を飛んだのが人生最高の日だった。「人生最高の日を更新できた」。笑顔がはじけた。
「多くの協力や支援があってここに立てた。良い知らせを福島に届けられて本当にうれしい」。次の人生最高の日の更新に向けて新たな航跡を描く。
■関係者祝福「第2章始まる」
関係者は歓喜に沸いた。ふくしまスカイパークの指定管理者・NPO法人ふくしま飛行協会の斎藤喜章理事長は、共に歩んだ歳月を思い出しながら、「福島の復興のために飛ぶと宣言し、努力を積み重ねた。重圧をはねのけて地元開催で見事に羽ばたいた。第二章が始まる」とさらなる飛躍を願った。
ふくしまスカイパークに軽飛行機の研究開発施設を整備している自動車部品会社サード(本社・愛知県豊田市)の佐藤勝之社長は技術面で支援。「福島に元気を届けられてうれしい。今後も協力して飛行機の機体開発をしていきたい」と連携を誓った。
同窓生も快挙に沸いた。同じ中央大出身の小林香福島市長は現地で声援を送った。「市民、県民の大きな喜びであり、励みだ」と拍手を送った。中央大学員会福島白門会の杉原長次事務局長は「福島の子どもたちに夢を与えてくれた。室屋さんに憧れてパイロットを目指す子どもが増えてほしい」と期待した。
スポンサー契約を結んだレクサスは「(レクサスは)日本発のブランドとして卓越した操縦技術で世界と戦う室屋選手を応援している。残り5試合もサポートし、世界の舞台で驚きと感動を提供し続けてほしい」とコメントした。
■「来年も千葉で」
レッドブル・エアレース社のエリック・ウルフゼネラルマネジャーは5日、本選前の記者会見で「次も千葉で開催したい」と述べ、来年も国内開催を継続する考えを初めて明らかにした。
千葉県を開催地候補に挙げた理由について、「行政や関係機関の理解や支援が大きい」と説明した。国内では昨年から千葉県でレースが行われている。
( 2016/06/06)
ここで「ほんとの空」の語には多少の無理矢理感がありますが(笑)、震災以来、幅広く使われるようになって、もはや一人歩きしているような感もある「ほんとの空」の語、さらに広めていただきたいものです。
当方、レースの行われている時間帯、全くの別件で千葉市に居りました。レースが行われていることは知っていましたが、光太郎ブログのネタになるとはまったく思っていませんでした(笑)。
なにはともあれ、室屋選手の今後のさらなるご活躍も祈念いたします。
【折々の歌と句・光太郎】
爆音のうなりに耳をすましゐてあやふきも又うつくしとおもふ
昭和20年(1945) 光太郎63歳
飛行機を題材にした短歌ですが、ただし、ここで爆音をたてているのは米軍機です。
光太郎、飛行機には「用の美」を見いだしていました。
用途に徹(てつ)するものの美といふことを、飛行機ほどあからさまに示してゐるものは少い。所謂装飾(さうしよく)といふものの入りこむ余地のまるでない、純粋に機能そのものの追求(つひきう)からのみ、成つてゐる飛行機が、またなく美しいといふ一事は、「必要なるものは美なり」といふ、古人の言を裏書してゐる。美が物体から遊離(いうり)してゐるものでなくて、物体そのものの機構(きこう)が即ち美しいのだといふ原理をよく示してゐる点で、飛行機の美は茶室の美とにてゐる。一方は動の極、一方は静の極でありながら、どちらも無駄といふ無駄をあくまで除きさつて、其上、その性能を最大限に発揮(はつき)するやうに工夫されてゐる。かういふ角度(かくど)から追求された造型物(ざうけいぶつ)は、欲せずしても美に到達せずにはゐない。これこそ、われわれ美術家の最も心にとゞめねばならない重点であり、美の健康性のうまれる契機(けいき)でもある。自然の成立がすでにさうであり、殊に人体に見る必須の美は、その好個箇の手本であるといへる。
上記は昭和18年(1943)1月1日発行の雑誌『飛行日本』第18巻第1号に載った「飛行機の美」という散文の冒頭部分です。『高村光太郎全集』に漏れていたものですが、5年ほど前に見つけました。
いわんとするところは分かります。しかし、この文章で光太郎が美しいとたたえているのは、殺戮兵器である戦闘機や爆撃機でした。そうした視点が欠けていたしっぺ返しのように、東京と花巻、光太郎は2度も空襲で焼け出されます。上記短歌は、2度目に焼け出される直前の作です。
飛行機も、「レッドブル・エアレース」のように、平和的な利用のみが為される時代になってほしいものです。