先週土曜日、岩手盛岡で、「啄木生誕130年・盛岡市玉山村合併10周年 2016啄木祭 ~母を背負ひて~」が開催され、連翹忌ご常連でもある女優の渡辺えりさんが、「わたしの啄木・賢治・光太郎」と題するご講演、対談をなさいました。
啄木の世界観ひもとく 盛岡、渡辺えりさんが講演
盛岡出身の詩人石川啄木をしのぶ啄木祭(同実行委主催)は4日、盛岡市渋民の姫神ホールで開かれた。地元小中学生やコーラスグループの発表のほか、舞台で啄木の母カツを演じた劇作家で女優の渡辺えりさんが講演し、啄木の世界観をひもといた。
渋民小児童のドラムマーチで開演し、同校鼓笛隊が啄木作詞の「ふるさとの山に向ひて」など3曲を披露。渋民中の生徒たちは啄木の詩を題材にした群読劇で「はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る」とかみしめるよう朗読。啄木の心象を表現した。
渡辺さんは「わたしの啄木・賢治・光太郎」と題し講演。啄木と賢治の共通点として友人たちが作品を広めたことを挙げ、「応援してくれる人たちがいなければ、私たちは詩を読むこともなかったのかも」と交友関係の広さを語った。
渡辺さんと石川啄木記念館(同市渋民)の森義真(よしまさ)館長との対談では、自身が演じた母カツの人柄について「役作りをしながら、カツは本当に啄木のことを手放しで愛していたのだと感じた」と役者の目線で啄木像に触れた。
(『岩手日報』)
渡辺えりさん 啄木祭で講演
生誕130周年を迎えた歌人石川啄木の業績をたたえる啄木祭が4日、盛岡市の渋民文化会館であった。
劇作家、演出家、女優として活躍する山形市出身の渡辺えりさんが「わたしと啄木・賢治・光太郎」と題して講演。以前、井上ひさしの戯曲「泣き虫なまいき石川啄木」の上演で啄木の母カツを演じた際、背負われた時のことや啄木の歌などを引き合いに出し、観客の笑いを誘っていた。
渡辺さんは「今は啄木も想像しないような世の中になってきたのではないか」と言い、「文化人を残すためにも平和教育を受けた私たちが戦争を食い止めなければいけない」と力を込めた。
市立渋民小学校の鼓笛隊による演奏や、渋民中学校の生徒が演じる啄木の詩を題材にした群読劇なども披露された。(金本有加)
(『朝日新聞』)
市立渋民小学校の鼓笛隊による演奏や、渋民中学校の生徒が演じる啄木の詩を題材にした群読劇なども披露された。(金本有加)
(『朝日新聞』)
啄木憎めない人柄…生誕130年で渡辺えりさん
生誕130年を迎えた盛岡市出身の歌人・石川啄木をしのぶ「啄木祭~母を背負ひて~」が4日、同市の姫神ホールで開かれた。女優の渡辺えりさん=写真=が「わたしと啄木・賢治・光太郎」と題して講演し、約520人が耳を傾けた。
渡辺さんは生前はほぼ無名だった啄木について「金田一京助など死後、作品を世に出してくれる友人に恵まれた」と、同じ県出身の宮沢賢治との共通点を指摘。啄木が多くの友人から借金をするなど奔放な生活を送っていたことについては「悪人なら友人がいないはず。憎めない人柄だったに違いない」と推し量った。
また、井上ひさしの戯曲「泣き虫なまいき石川啄木」で母カツを演じたことに触れ、「啄木を目に入れても痛くないというほど大事にしていた。心から啄木を応援していたと思う」と役作りを振り返った。
(『読売新聞』)
記事にはありませんが、えりさんのお父様、渡辺正治氏が光太郎と戦中戦後に面識がおありで、さらに宮沢賢治ファンだったということもあり、劇作家でもあるえりさんは、光太郎を主人公とした「月にぬれた手」、賢治が主人公の「天使猫」という舞台をそれぞれ公演なさいました。
そして今回のご講演、最近、お父様のお加減がよろしくないとのことで、涙ぐまれながら、お父様に関するお話をご披露なさったとのことを、参会された方からメールで教えていただきました。
えりさんからも翌日、「無事に好評のうちに終わりました」とメールを頂きました。
その後、えりさんから花巻の高村光太郎記念館へ、資料の贈呈が行われました。
お父様が戦時中に光太郎から贈られた、サイン入りの『道程 再訂版』(昭和20年=1945)、戦後に光太郎から届いたハガキをご寄贈下さいました。
先月でしたか、お電話を頂いた際、これらの寄贈先を探しているというお話で、都内の文学館などもご紹介しましたが、ハガキの方は賢治にも触れている内容ですし、発送元が花巻郊外旧太田村ですので、結局、花巻にご寄贈下さいました。えりさんは、平成25年(2013)、お父様も平成12年(2000)に、花巻高村祭でご講演なさっているというご縁もあります。いずれ花巻の記念館で展示されると思います。
同館では、この夏、企画展「智恵子の紙絵」を開催しますし、現在、館としてのあらたな出版物2種類、当方が校正中です。
それぞれまた詳細は後ほどお知らせいたします。
【折々の歌と句・光太郎】
山形によき酒ありてわれをよぶのまざらめやも酔はざらめやも
昭和24年(1949) 光太郎67歳
以前も同一題の短歌をご紹介しましたが、山形出身の渡辺えりさん父子にちなんで。