昨日の『福井新聞』さんの一面コラムから。
越山若水
一昨夜、昨夜と雲にいらだった人が多いかもしれない。火星が地球に最接近する「スーパーマーズ」である。南南東の夜空に赤く輝く星をご覧になれただろうか▼火星は約2年2カ月ごとに地球と接近を繰り返す。その距離は毎回違う。今回最も近づいた5月31日は7528万キロと、ほぼ10年ぶりに「中接近」したという▼「スーパー」だが「中」くらい、では拍子抜けの気がしないでもない。ただ、見た目で一番小さかった1月に比べいまの火星は3倍も大きい。観察には好機である▼高村光太郎も最接近を見たのかもしれない。「要するにどうすればいいか、という問は、/折角(せっかく)たどつた思索の道を初にかへす」と始まる「火星が出てゐる。」という詩がある▼まずい読み手ながら、例えばこんな一節にひかれる。「お前の心を更にゆすぶり返す為(ため)には…あの大きな、まつかな星を見るがいい」。孤高の星を仰ぐ求道者が浮かんで美しい▼地球から月までは約38万キロ。火星はその数百倍も遠く、ロケットで往復するだけで3年かかる。巨額の費用も必要だ。それでも、世界各国が有人探査計画を進めている▼なぜかといえば将来、人類が移住できそうな星だとみられているから。この計画にロマンを感じるかどうか。青く美しい地球を壊した末に「地球が出ている」とうたうのか、と人類の所業に心痛む人も多いだろう。
というわけで、現在、通常時に比べて地球と火星の距離がかなり近い状態だそうです。
そちらを報じた『中日新聞』さんの記事。
火星が明るい! 5月31日 火星最接近!
火星接近!
午後11時ごろ南東の空を眺めると、赤い光を強烈にはなっている星が目に入る。火星だ。近くの土星やさそり座のアンタレスがかすんでしまうほど。アンタレスは火星の敵という意味だが、アンタレスよりも3等級も明るい-2等星で輝いている。
それもそのはず5月31日は2年2か月ぶりの火星最接近なのだ。しかも今年は準大接近、前回の2014年4月よりも一回り大きな火星が見えるということで大いに期待が高まる。
午後11時ごろ南東の空を眺めると、赤い光を強烈にはなっている星が目に入る。火星だ。近くの土星やさそり座のアンタレスがかすんでしまうほど。アンタレスは火星の敵という意味だが、アンタレスよりも3等級も明るい-2等星で輝いている。
それもそのはず5月31日は2年2か月ぶりの火星最接近なのだ。しかも今年は準大接近、前回の2014年4月よりも一回り大きな火星が見えるということで大いに期待が高まる。
火星の動き
火星は地球のすぐ外側を公転周期687日で回っているため、地球から星空の中で輝く火星を見ていると、その動きはとても目まぐるしく、ほぼ2年で天球を1周してしまう。
今年1月におとめ座の足元にいた火星は、東へ東へと順行し、2月にはてんびん座を通過し3月にさそり座、4月にへびつかい座に入ったかと思ったら17日には動きが止まり、逆行モードに転じUターンしててんびん座まで戻ってしまう。
そして6月30日に再び止まって順行に転じて、そのまま東へ足早移動し8月にはアンタレスに接近する。
火星は地球のすぐ外側を公転周期687日で回っているため、地球から星空の中で輝く火星を見ていると、その動きはとても目まぐるしく、ほぼ2年で天球を1周してしまう。
今年1月におとめ座の足元にいた火星は、東へ東へと順行し、2月にはてんびん座を通過し3月にさそり座、4月にへびつかい座に入ったかと思ったら17日には動きが止まり、逆行モードに転じUターンしててんびん座まで戻ってしまう。
そして6月30日に再び止まって順行に転じて、そのまま東へ足早移動し8月にはアンタレスに接近する。
火星は、地球に追いつかれ並び追い越されてゆくことになる。この間火星はダイナミックに変化をする。地球との距離は、1月には2億3100万kmもあったが、最接近の5月31日には7530万kmまで縮まり、12月には2億2900万kmまで離れてしまう。
明るさは、1月はおとめ座のスピカと変わらない1.1等から、5月には木星の明るさに迫る-2等に達し、12月には0.8等南のうお座のフォーマルハウトよりやや明るい0.8等まで落ちてしまう。
気になる大きさ視直径は、1月の6秒角から最接近時の18秒角、そして年末の6秒角へと、猫の目のように目まぐるしく変化する。だからこそ、火星接近は、一大天文現象になるのだ。
明るさは、1月はおとめ座のスピカと変わらない1.1等から、5月には木星の明るさに迫る-2等に達し、12月には0.8等南のうお座のフォーマルハウトよりやや明るい0.8等まで落ちてしまう。
気になる大きさ視直径は、1月の6秒角から最接近時の18秒角、そして年末の6秒角へと、猫の目のように目まぐるしく変化する。だからこそ、火星接近は、一大天文現象になるのだ。
文章ではわかりにくいのですが、図を見れば一目瞭然ですね。
昨夜は関東は快晴で、南の空に火星がくっきり見えました。あやしいほどの光でした。というか、先月中旬くらいら、赤い大きな星が網戸越しにも見えていたので、気になっていました。その後、「火星再接近」というニュースを見て、ああ、あれが火星だったか、と思った次第です。
光太郎ファンは、「火星」というと、次の詩を思い浮かべます。大正15年(1926)、12月5日作。翌昭和2年1月1日の雑誌『生活者』第2巻第1号に掲載されたものです。
火星が出てゐる。
要するにどうすればいいか、といふ問は、
折角たどつた思索の道を初にかへす。
要するにどうでもいいのか。
否、否、無限大に否。
待つがいい、さうして第一の力を以て、
そんな問に急ぐお前の弱さを滅ぼすがいい。
予約された結果を思ふのは卑しい。
正しい原因にのみ生きる事、
それのみが浄い。
お前の心を更にゆすぶり返す為には、
もう一度頭を高く上げて、
この寝静まつた暗い駒込台の真上に光る
あの大きな、まつかな星をみるがいい。
火星が出てゐる。
木枯が皀角子(さいかち)の実をからからと鳴らす。
犬がさかつて狂奔する。
落葉をふんで
藪を出れば
崖。
火星が出てゐる。
おれは知らない、
人間が何をせねばならないかを。
おれは知らない、
人間が何を得ようとすべきかを。
おれは思ふ、
人間が天然の一片であり得ることを。
おれは感ずる、
人間が無に等しい故に大である事を。
ああ、おれは身ぶるひする、
無に等しい事のたのもしさよ。
無をさへ滅した
必然の瀰漫よ。
火星が出てゐる。
天がうしろに廻転する。
無数の遠い世界が登つて来る。
おれはもう昔の詩人のやうに、
天使のまたたきをその中に見ない。
おれはただ聞く、
深いエエテルの波のやうなものを。
さうしてただ、
世界が止め度なく美しい。
見知らぬものだらけな不気味な美が
ひしひしとおれに迫る。
火星が出てゐる。
要するにどうすればいいか、といふ問は、
折角たどつた思索の道を初にかへす。
要するにどうでもいいのか。
否、否、無限大に否。
待つがいい、さうして第一の力を以て、
そんな問に急ぐお前の弱さを滅ぼすがいい。
予約された結果を思ふのは卑しい。
正しい原因にのみ生きる事、
それのみが浄い。
お前の心を更にゆすぶり返す為には、
もう一度頭を高く上げて、
この寝静まつた暗い駒込台の真上に光る
あの大きな、まつかな星をみるがいい。
火星が出てゐる。
木枯が皀角子(さいかち)の実をからからと鳴らす。
犬がさかつて狂奔する。
落葉をふんで
藪を出れば
崖。
火星が出てゐる。
おれは知らない、
人間が何をせねばならないかを。
おれは知らない、
人間が何を得ようとすべきかを。
おれは思ふ、
人間が天然の一片であり得ることを。
おれは感ずる、
人間が無に等しい故に大である事を。
ああ、おれは身ぶるひする、
無に等しい事のたのもしさよ。
無をさへ滅した
必然の瀰漫よ。
火星が出てゐる。
天がうしろに廻転する。
無数の遠い世界が登つて来る。
おれはもう昔の詩人のやうに、
天使のまたたきをその中に見ない。
おれはただ聞く、
深いエエテルの波のやうなものを。
さうしてただ、
世界が止め度なく美しい。
見知らぬものだらけな不気味な美が
ひしひしとおれに迫る。
火星が出てゐる。
「火星再接近」のニュースを見て、この詩を引用した報道やコラムが、全国どこかの新聞に載るだろうと予想していましたら、まさしくその通り、『福井新聞』さんがやってくださいました。ありがとうございます。「まずい読み手ながら」と謙遜されていますが、どうしてどうして、「孤高の星を仰ぐ求道者が浮かんで美しい」という解釈はその通りです。
しかし、同じく求道的な内容であっても、大正3年(1914)の、あまりにも有名な「道程」で謳い上げられた「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」という高らかな調子はありません。この時期の光太郎の、さまざまな面での葛藤や焦燥が込められているからです。
父・光雲を頂点とする旧態依然たる日本彫刻界と訣別し、独自の道を歩き始め、それなりに認められるようにはなっていた光太郎ですが、まだまだ「大家」の域までの評価は得ていません。
かえって、詩の部分での評価が高まり、光太郎の元には、草野心平、尾崎喜八、黄瀛、佐藤春夫、真壁仁、更科源蔵、宮沢賢治、岡本潤、中原中也、高橋元吉、尾形亀之助ら、若い詩人たちが集ってきます。佐藤春夫曰く「多くの若者を愛し、また多くの若者から慕はれた」、「あの人に近づいたあらゆる人が不思議と、みんな自分が一番気に入られてゐたやうな感銘を持つて帰る」(『小説高村光太郎像』昭和32年=1957)ということでした。
こうした若い詩人たちとの交流が、光太郎をしてアナーキズムやプロレタリア文学に近い位置に導きました。もちろん、それは光太郎一流の旧弊な日本を否定する精神あってのことでした。「彼は語る」「上州湯桧曽風景」「機械、否、然り」「似顔」といったこの時期の詩には、人間を人間として扱わない強欲な資本家に対する怒りなどが表出されています。そうした怒りをさまざまな「猛獣」の視点で描いた連作、「猛獣篇」が手がけられるのもこの時期です。
しかし、そうした怒りも、畢竟するに一芸術家としての狭い視野からのものに過ぎず、そこには確固たる社会認識に基づく方法論も、社会変革を志す姿勢にも欠けていました。
光太郎曰く、
その方(注・プロレタリア文学)にとび込めば相当猛烈にやる方だからつかまってしまう。しかし自分には彫刻という天職がある。なにしろ彫刻が作りたい。その彫刻がつかまれば出来なくなってしまう。彫刻と天秤にかけたわけだ。(略)プロレタリア文学の良い部分には勿論ひかれたが、心から入ってはゆけなかった。
(「高村光太郎聞き書き」 昭和30年=1955)
というわけでした。
「火星が出てゐる」の、「要するにどうすればいいか」という自問は、このあたりに関わってきます。
ついでに言うなら、パートナー智恵子も目指していた油絵画家への道をほぼ断念、不安定な状態になっていきます。そして慢性的な生活不如意。二人の生活もさまざまな軋みを見せ始めます。そして智恵子の方は、自身の健康問題、相次ぐ近親者の死、実家の破産、光太郎と違って狭い交友範囲だったこと、更年期障害、子供もいないことなどなど、様々な要因がからみあって、光太郎曰く「精一ぱいに巻切つたゼムマイがぷすんと弾けてしまつた」状態―心の病―になってゆくのです。
さて、火星。
当分は夜間、南の空によく見えるはずです。ひときわ赤く大きく輝いているので、すぐにわかります。それを見ながら、光太郎智恵子に思いを馳せていただきたいものです。
【折々の歌と句・光太郎】
まこもぐささびしう風に香をよせて夕の舟の人泣かしむる
明治35年(1902) 光太郎20歳
一昨日からご紹介している利根川の旅の中での一首です。