昨日は福島県郡山から二本松をぶらり散歩。
まずは郡山市のふれあい科学館さんに。こちらでは、第4回ふくしま星・月の風景フォトコンテスト 作品展(観覧無料)を開催中です。
「”ほんとの空”のあるふくしまの星・月の風景」ということで寄せられた作品のうち、入賞作30点あまりが展示されています。どれもこれもハイレベルな作品でした。





入賞作品集の冊子も販売中。一冊購入しました。

表紙は大賞受賞作「雲は去り、月は彼方に」。桧原湖と、光太郎が詩「山麓の二人」(昭和13年=1938)で、「二つに裂けて傾く」と謳った磐梯山が写っています。
来月30日までの会期です。今後も、福島の「ほんとの空」を広めるために、続けていってほしいものです。
会場から見えた安達太良山。天気が今一つで、「ほんとの空」とは行きませんでした。

その後、二本松へ。午後1時から、旧安達町にある智恵子の生家で、「高村智恵子生誕130年記念事業 智恵子生誕祭 琴の調べ」ということで、琴の演奏があります。
その前に、国道4号を北上し、智恵子の生家付近を通り過ぎ、道の駅「安達」智恵子の里で昼食を摂りました。
こちらでは今月いっぱい、下り線で『高村智恵子』紹介コーナーが設置されています。「智恵子生誕祭」の一環です。




こちらの道の駅は全国的にも珍しい、上下線に分かれている作りになっています。上り線でも光太郎智恵子のパネル。さらに「和紙伝承館」というお店では、智恵子の紙絵の複製が特別展示されていました。


さて、智恵子の生家へ。
まずは裏手の記念館を拝観。この期間、複製ではない実物の紙絵が10点、展示されています。以前にも書きましたが、やはり実物は違います。厚さ1ミリに満たない中で、紙の重なりが立体感を生み出しています。正面に立つとわかりにくいのですが、斜め方向から見れば、一目瞭然です。
撮影禁止なので画像は出せません。ぜひ行って、実物をご覧下さい。
受付で、4枚組の絵葉書をゲット。新製品のようです。以前はありませんでした。袋は上川崎和紙でしょう。




さて、1時となり、「琴の調べ」。
生家の一室を使い、琴の方が4人、そこに尺八の方が入った合奏でした。





曲はお約束で、二代目コロムビア・ローズさんの「智恵子抄」、その他は「さくら」「荒城の月」などなど。こういう場所で聴くと、より風情が増します。心が洗われるようでした。
こちらは生家に展示されている、智恵子が実際に使っていた琴。

裏側には名前が入っています。

智恵子の琴に関するエピソードは伝わっていませんが、素封家の子女のたしなみとして、取り組んでいたのでしょう。
「琴の調べ」、今日まで開催されています。智恵子も「ほんとの空」の上から喜んでいるのではないでしょうか。
当方、この後、安達太良山に行きました。長くなりましたので、明日に回します。
【折々の歌と句・光太郎】
この人を見よヴエルハアランはわがごとく妻を恋ふゆゑ間なくし作れり
大正13年(1924) 光太郎42歳
「ヴエルハアラン」は、エミール・ヴェルハーレン。ベルギーの詩人です。
画家だった妻・マルトに贈った「時の三部作」(『明るい時』、『午後の時』、『夕べの時』)のうち、『明るい時』、『午後の時』を、光太郎が翻訳しました。
『明るい時』(大正10年=1921)の序文で、光太郎は以下のように記しています。
詩の翻訳は結局不可能である。意味を伝へ、感動を伝へ、明暗を伝へる事位は出来るかも知れないが、原(もと)の「詩」はやはり向うに残る。其を知りつつ訳したのは、フランス語を知らない一人の近親者にせめて詩の心だけでも伝へたかつたからである。
「フランス語を知らない一人の近親者」は、もちろん、智恵子です。内容的にも『智恵子抄』所収の詩との類似点が指摘され、いわば『智恵子抄』の序章とも言えます。
