現在、皇居東御苑内の三の丸尚蔵館さんで開催中の展覧会です。
今月末から展示替えに伴い、光太郎の父・光雲作の木彫が2点、展示されます。
第72回展覧会 古典再生―作家たちの挑戦
会 期 : 2016年3月25日(金)~6月19日(日)
前期 3月25日~4月24日 中期 4月29日~5月22日
後期 5月28日(土)~6月19日(日)
前期 3月25日~4月24日 中期 4月29日~5月22日
後期 5月28日(土)~6月19日(日)
休 館 : 毎週月・金曜日
時 間 : 午前9時~午後4時45分(入館は午後4時30分まで)
料 金 : 無料
明治維新後,近代国家としての自立を目指した日本は,急速に西欧化を推し進めていきました。しかし,その影響下で廃仏毀釈による古器旧物の破壊や,美術工芸品の国外流出が相次いだこともあり,明治十年代半ば頃から日本古来の伝統を保護しようとする機運が高まりを見せます。江戸時代後期に興った復古思想とも重なりながら,絵画や工芸の分野では,モチーフや形状,表現技法などの面で近世以前の古美術を古典として意識した作品が数多く作られるようになりました。それらは古典の単なる焼き直しに終わる作品も少なくありませんでしたが,徐々にその中から古典を表面的に模倣するのではなく,その本質を捉えた上で作家の個性や近代的な進取の精神とを融合した,新味あふれる作品が登場しました。大正時代以降も作家たちは真摯に古典と向き合い,その中にそれぞれが自分なりの美を発見し,新機軸となる作品を生み出していきました。このように古典を昇華して生み出された作品は,伝統保護の重要性を認識していた皇室,宮内省からも高く評価されて展覧会などで買い上げられ,また,皇室への献上を目的に制作された作品にも注目すべきものが多くあります。
本展では,古典に範を取りながらも,明らかな近代的感覚を抱かせる,不思議な魅力をもった近代美術の作品を紹介します。それらを通して明治,大正,昭和,それぞれの時代の作家にとって常に創作の源泉となり得た,日本美術という土壌の豊かさを再認識していただく機会となれば幸いです。
見出された宝物
蓬莱雲鶴蒔絵書棚 六角紫水ほか 一基 大正6年
瑞鳥霊獣文蒔絵手箱 六角紫水 一合 昭和3年
東洋の美、新たなる挑戦
秋爽 小坂芝田 十曲一隻 大正元年
春庭・秋圃 小室翠雲 対幅 大正8年
受け継がれるやまとのこころ
渓澗 宇田荻邨 二曲一隻 昭和2年
秋草流水蒔絵螺鈿棚 川之邊一朝ほか 一基 明治28年
菊蒔絵硯箱 赤塚自得 一合 昭和3年
猿置物 高村光雲 一点 大正12年
近代における神と仏
養蚕天女 高村光雲 一点 大正13年
肇国創業絵巻 安田靫彦ほか 二巻のうち 昭和14年
墨の彩り
唐崎老松図 野村文挙 一面 明治30年頃
月夜帰牧之図 木島桜谷 一幅 大正3年
雪渓遊猿之図 山元春挙 一幅 大正4年
秩父霊峯春暁 横山大観 一幅 昭和3年
蓬莱雲鶴蒔絵書棚 六角紫水ほか 一基 大正6年
瑞鳥霊獣文蒔絵手箱 六角紫水 一合 昭和3年
東洋の美、新たなる挑戦
秋爽 小坂芝田 十曲一隻 大正元年
春庭・秋圃 小室翠雲 対幅 大正8年
受け継がれるやまとのこころ
渓澗 宇田荻邨 二曲一隻 昭和2年
秋草流水蒔絵螺鈿棚 川之邊一朝ほか 一基 明治28年
菊蒔絵硯箱 赤塚自得 一合 昭和3年
猿置物 高村光雲 一点 大正12年
近代における神と仏
養蚕天女 高村光雲 一点 大正13年
肇国創業絵巻 安田靫彦ほか 二巻のうち 昭和14年
墨の彩り
唐崎老松図 野村文挙 一面 明治30年頃
月夜帰牧之図 木島桜谷 一幅 大正3年
雪渓遊猿之図 山元春挙 一幅 大正4年
秩父霊峯春暁 横山大観 一幅 昭和3年
上記が後期の出品作品です。
光雲の「猿置物」は別名「猿・三番叟」。
平成25年(2013)、京都国立近代美術館で開催中された「皇室の名品-近代日本美術の粋」展にも出品されました。今年は申年と云うこともあり、同一題の純金製複製なども販売されています。
「養蚕天女」はその名の通り、養蚕の守護神です。
帝室技芸員だった光雲の作は、宮内庁にかなり現存します。当方が把握しているだけでも十数点。
「養蚕天女」も二種類所蔵されており、今回展示される大正13年(1924)のものは、高さ48㌢の比較的大きなものですが、昭和3年(1928)作のものは、約半分の高さ25㌢。
平成23年(2011)、眞子内親王殿下ご成年の際に公開された写真に、そちらが写っています。
皇室と養蚕の関連は深く、今も皇后陛下は明治以来続いている「皇后御親蚕」をされているそうです。
三の丸尚蔵館さんでは、昨年も「第68回展覧会 鳥の楽園―多彩、多様な美の表現」で、光雲木彫を展示して下さいました。今後も続けていただきたいものです。何と言っても入場無料ですし(笑)。
【折々の歌と句・光太郎】
春風や運動会の吹流し 明治33年(1900) 光太郎18歳
最近は5月に運動会をやってしまうという学校も多いようです。考えてみれば、秋に運動会、というのも昭和39年(1964)の東京オリンピックで開会式が行われた10月10日を体育の日、と定めて以来なのかも知れません。
明治期にも5月に運動会というのは一般的だったのでしょうか。それともこの「吹流し」は、鯉のぼりとは無関係のものなのでしょうか。詳細が不明です。