昨日の『長崎新聞』さんの一面コラムです。 

水や空 2016年5月1日 きょうから5月

きょうから5月。〈五月の日輪はゆたかにかがやき/五月の雨はみどりに降りそそいで/野に/まんまんたる気迫はこもる〉-高村光太郎の「五月の土壌」は、この季節が感じさせる大地の生命力を力強くうたいあげた一編だ▲ところで、この詩人は"土との格闘"をつづった「開墾」という題名の随筆も残している。自然の強さや厳しさを愛し称賛した作者には不似合いな弱気な姿勢が興味深い▲〈猫の額ほどの地面を掘り起こして去年はジヤガイモを植ゑた〉〈...自分の体力と時間とに相当したことだけを今後もやつてゆくつもり...〉〈...分相応よりも少し内輪なくらゐに始めるのがいいのだと信じている〉▲と、控えめに始めた農作業だったが、それでも手に血まめをこしらえてしまい、傷跡が化膿したのか、夜も眠れぬ痛みに襲われる。1カ月ほどの病院通いを余儀なくされ、戻ってみると、せっかくの畑は台無しに▲当世風のブログならば文末に(泣)とでも書き加えたくなりそうな顛末(てんまつ)だ。自虐めいたユーモラスな筆致が親近感を誘う▲ともあれ、桜の花に彩られて始まった新生活や新しい環境が一段落して、緊張感の反動が少し心配なこの時期に、新緑のみずみずしさと爽やかに吹く風が人々を癒やす。日本の「1年」は、つくづく絶妙にできている。(智)

引用されている「五月の土壌」は、大正3年(1914)5月の作。雑誌『詩歌』に発表され、この年に編まれた第一詩集『道程』にも収められました。


   五月の土壌

 五月の日輪はゆたかにかがやき
 五月の雨はみどりに降りそそいで000
 野に
 まんまんたる気魄はこもる

 肉体のやうな土壌は
 あたたかに、ふくよかに
 まろく、うづたかく、ひろびろと
 無限の重量を泡だたせて
 盛り上り、もり上り
 遠く地平に波をうねらす

 あらゆる種子をつつみはぐくみ
 蟲けらを呼びさまし
 悪きものよきものの差別をたち
 天然の律にしたがつて001

 地中の本能にいきづき
 生くるものの為には滋味と塒とを与へ
 朽ち去るものの為には再生の隠忍を教へ
 永劫に
 無窮の沈黙を守つて
 がつしりと横はり
 且つ堅実の微笑を見する土壌よ
 ああ、五月の土壌よ

 土壌は汚れたものを恐れず
 土壌はあらゆるものを浄め
 土壌は刹那の力をつくして進展する
 見よ
 八反の麦は白緑にそよぎ
 三反の大根は既に分列式の儀容をなし
 其処此処に萌え出る無数の微物は
 青空を見はる嬰児の眼をしてゐる
 ああ、そして
 一面に沸き立つ生物の匂よ
 入り乱れて響く呼吸の音よ
 無邪気な生育の争闘よ

 わが足に通(かよ)つて来る土壌の熱に
 我は烈しく人間の力を思ふ


画像は自宅兼事務所の裏山の竹林です。タケノコがすごいことになっています。「五月の土壌」のパワーですね(笑)。

さらにコラムにある「開墾」という散文は、昭和22年(1947)、岩手花巻郊外太田村の山小屋での作です。『北方風物』という雑誌のために書かれましたが、同誌が発表前に廃刊となり、いったんお蔵入りになりましたが、その後『智恵子抄その後』に収められ、『高村光太郎全集』で読むことが出来ます。

「風薫る」と称される五月。暑くもなく寒くもなく、緑の美しい季節です。「日本の「1年」は、つくづく絶妙にできている。」そのとおりですね。


【折々の歌と句・光太郎】

青葉若葉巴里の町の狭さかな    明治42年(1909) 光太郎27歳

欧米留学中の作。パリにいても、遠い日本の「風薫る」風景も思い起こしていたのではないでしょうか。