昭和20年(1945)、空襲で東京のアトリエを失った光太郎が、岩手花巻への疎開のため東京を発った5月15日、例年、花巻で「高村祭」が行われています。今年で59回目となります。今月号の『広報はなまき』から。 

第59回高村祭

期  日 : 2016年5月15日(日)
会  場 : 高村山荘詩碑前広場 岩手県花巻市太田3-85

光太郎が花巻に疎開してきた5月15日に毎年開かれる「高村祭」。光太郎が暮らした高村山荘にある「雪白く積めり」の詩碑の前では、地元の小・中学生や高校生、花巻高等看護専門学校生による合唱や楽器の演奏、詩の朗読などが行われます。

高村祭特別講演を開催
 高村光太郎と金谷一族について-高村光太郎のいにしえの姿-
【時間】午前11時~正午
【講師】加藤 千晴さん
【内容】
講師の祖母、金谷ふゆは、高村光太郎のいとこで幼なじみでした。祖母ふゆから受け継いだ仏像と光太郎が持っていた仏像のつながりをはじめ、祖母から聞いた光太郎の姿を紹介します。

【駐車場のご案内】
当日はスポーツキャンプむら「メイングラウンド側」駐車場をご利用ください。雨天時は「屋内運動場側」駐車場は利用できません。
【無料臨時バスを運行】往路…花巻駅西口発9時半、復路…高村山荘発15時
【問い合わせ】(一財)花巻高村光太郎記念会事務局(平日電話29-4681)

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毎年、地元小中高生、看護学校生による光太郎詩の朗読、音楽演奏が行われ、さらに記念講演があります(昨年は当方が仰せつかりました)。

今年の講演は、盛岡在住の加藤千晴氏。光太郎の血縁の方です。明治の高村家は、養子縁組等で若干、家系が複雑です。光太郎の父・光雲が徴兵を逃れるため師匠・高村東雲の姉・悦の養子となり、光太郎の母・わかも若くして父を亡くして東雲の妹・きせの養女となりました。きせの実子がふゆ。年齢的には光太郎に近く、幼馴染み的な関係だったので、混乱が生じているようです。光太郎のいとこにあたるのは、ふゆの子の照。その照の子息が加藤千晴氏です。ちなみに照さんは100歳近いということですが、まだご存命です。この方も、戦後に花巻郊外太田村の光太郎の元を訪れています。

昨年暮れに、当方、花巻に参りまして、加藤氏の手記のコピーを戴きました。手記はふゆ・照母子と光雲・光太郎との関わりなどが詳細に記されており、非常に貴重なものでした。今回の講演でも、一般に知られていないエピソードなどが聴けることと思われます。

ぜひ足をお運びください。

前日の5月14日には、光太郎が旧太田村の山小屋に入る前に1ヶ月暮らした、花巻市街の佐藤隆房邸の公開もあります。当方、ここからお邪魔いたします。


【折々の歌と句・光太郎】

米無くばじやがたらいもをわが喰はむみどりの風に身を養はむ
制作時期不詳

昭和4年(1929)刊行の『現代日本文学全集第三十八編 現代短歌集 現代俳句集』に載った作品です。おそらくあまりさかのぼらない時期の制作とは推定できます。

5月となりました。しかも今日は八十八夜だそうです。「みどりの風」が心地よい季節になって参りました。