昨年、イギリスのヘンリー・ムーア・インスティテュートさんと、武蔵野美術大学さんとの共同企画により、日英それぞれで「近代日本彫刻展(A Study of Modern Japanese Sculpture」が開催されました。
それぞれ光太郎の彫刻作品も展示されました。英国展では「手」(東京国立近代美術館蔵)、「白文鳥」。日本展ではそれにプラスして、朝倉彫塑館蔵の「手」も。2点の「手」は、ともに大正期に鋳造、台座の制作も光太郎自身と推定されるものです。
関連行事として、昨年の7月17、18の2日間、「国際シンポジウム The Study of Modern Japanese Sculpture」が、武蔵野美術大さんで開催されました。日英、さらに米韓の研究者も参加しての、内容の濃いものでした。こちらは存じませんでした。
その全ての発表、発言を記録した冊子が先月作成されたということで、当方、武蔵野美術大さんから戴いてしまいました。以前に同展の図録をお送りいただいていましたので、住所等ご存じだったようです。
一昨日届きまして、一気に読みました。そして、刮目しました。日本近代彫刻の特異性(西洋のそれと比較しての)、その中で光雲・光太郎の系譜が果たした役割などについて、一つの解答が提示されているように感じました。
江戸時代までの仏像彫刻、置物などから、維新後の文明開化の中で、どのように西洋彫刻の概念が取り入れられて行ったのか、そして変容した点としなかった点、さらにロダニズム的なものの受容、そうした中で特異な様相を示した日本近代彫刻。結局、「彫刻とは何か」という根源的な問いにまで遡る必要性があると結ばれ、まだまだ研究の余地はたくさんありそうですが、今後の研究の方向性に大きく啓示を与えるものだと感じました。
冊子は約150ページ、図版も豊富です。市販されず、研究室のプリンタと簡易製本機による制作だそうですが、それではもったいない気がしました。そこで礼状にはぜひ市販する方向でご検討下さい、的なことを書いておきました。
実現して欲しいものです。
【折々の歌と句・光太郎】
野がくれの葉かげの寂し小花(をばな)にも厳たり神の威は漏らす無き
明治37年(1904) 光太郎22歳
自宅兼事務所の庭、シロツメクサです。刈っても刈っても繁茂する旺盛な生命力には驚かされます。