昨日は、過日ご紹介した朗読公演「朗読人の四季~2016春」を聴いて参りました。
杉山典子さんという方による「智恵子抄」からの朗読がプログラムに入っており、それが目あてでした。
取り上げられたのは6篇。光太郎智恵子婚約の年(大正2年=1913)に書かれた「僕等」、智恵子が心を病み、九十九里浜で療養していた当時を回想して書かれた「風にのる智恵子」(昭和10年=1935)、智恵子の臨終を謳った絶唱「レモン哀歌」(同14年=1939)、没後の智恵子を偲ぶ「亡き人に」(同)と「梅酒」(同15年=1940)、そして戦後の花巻郊外太田村での隠遁生活の中で生まれた「案内」(同25年=1950)。
非常に落ちついた深みのあるお声で、変な抑揚などは付けず(時折そういう朗読に出会って閉口することがあるのですが)、それでいて随所に工夫が施されていました。例えば、「レモン哀歌」では、「昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして/ あなたの機関はそれなり止まつた」の改行の箇所(「/」の部分)では、音楽でいうと長い休符を入れ、実際に深呼吸されていました。
終演後に少しお話をさせていただきましたが、杉山さん、福島の猪苗代にお住まいだそうです。同じ福島の智恵子に対する思い入れがおありなのでしょう。
それにしても、杉山さんの朗読を聴きつつ、光太郎の詩は朗読に向いている詩だと、改めて感じました。詩の朗読というと、定型詩または自由詩でも定型詩に近いものこそ、朗読向きだと考える傾向があるようですが、はたしてそうなのでしょうか。
光太郎にもそういう作品がありますが、五七調、七五調の定型におさめるために、不要な単語が入っていたり、無意味な倒置などが使われたりと、不自然な日本語になっている場合が多々あります。やはり詩にしても散文にしても、自然な日本語であることが望ましいと思います。その上で、声に出して読んで、しっかりと美しい語感が表現されていることが実感できるもの、それこそが「名詩」「名文」の名にふさわしいのではないでしょうか。
その点、光太郎の詩にはそういうものが多いように思われます。この辺は感覚の問題なので、理論的に説き明かすことは不可能に近いのですが……。
文学を含む芸術に限らず、あらゆる表現活動に共通していえることとして、「何を」「いかに」表現しているかという点で、評価が為されるのだと思います。どんなに素晴らしい内容を伝えようとしていても、その表現方法がまずければ伝わりませんし、技巧を凝らした表現方法を工夫したところで、では、何を伝えたいの? というものに出くわすこともあります。
こうした点は、二次創作的な場合にも当てはまるでしょう。
様々な示唆に富む奥深き光太郎智恵子の世界、「何を」の部分は申し分ない素材です。それを「いかに」表現するか、杉山さんのような素晴らしい朗読もその一つの方法でしょうし、様々な二次創作により、いろいろな分野の表現者の方々がそれに取り組んで下さっています。飽くなき探求心を持って、優れた素材の魅力をより一層輝かせる取り組みが行われ続けることを願います。
「お前の書いているものはどうなんだ?」と言われると、ぐうの音も出ませんが……。
ちなみに昨日の公演、「智恵子抄」以外には、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」「蜜柑」、京極夏彦氏の「旧(ふるい)怪談―耳袋より」から、谷崎潤一郎「春琴抄」が取り上げられ、杉山さんの他、3名の方が朗読なさいました。それぞれに好感の持てるいい朗読でした。
【折々の歌と句・光太郎】
春風や屋根ささやかな駒形堂 大正中期(1920頃) 光太郎40歳頃
「駒形堂」は隅田川沿いに立つお堂で、少し離れていますが、浅草寺の伽藍の一つです。