毎年ご紹介していますが、4月2日の光000太郎の忌日の集い「連翹忌」は、東京以外にも、光太郎が足かけ8年を過ごした岩手花巻でも行われています。午前中は光太郎が7年間住んだ、旧太田村の山小屋(高村山荘)敷地で詩碑前祭、午後から光太郎が毎年のように智恵子や光雲の法要を行ってもらっていた、花巻市街の松庵寺さん(先頃、閉店が発表されたマルカンデパートさんの裏手)で、花巻としての連翹忌が開催されます。それぞれ花巻高村光太郎記念会さんの主催です。

昨日発行の『広報はなまき』に案内が載りました。

ちなみに東京では日比谷公園内の松本楼さんで行っていますが、今年は「第60回」です。光太郎一周忌の昭和32年(1957)に、「第1回」を行い、カウントが続いています。

花巻の方は「61回忌」として行われるはずです。「~回忌」は、年令の数え年と同じで、亡くなった年の葬儀を「0」ではなく「1」と数え、翌年のみ「一周忌」と表しますが、さらにその翌年が「3回忌」となり、以後、数字が増えていきます。したがって、東京日比谷での連翹忌とは数字が異なります。


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当方、東京での連翹忌を進行しなければなりませんので、花巻の連翹忌に参加したことはありませんが、光太郎第二の故郷ともいえる花巻での取り組みも、末永く続いてほしいものです。お近くの方で、東京には来られないという方、ぜひどうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

石崩(いしくへ)の崕(がけ)のはざまのほけ土も足るや花さき瑠璃の色しぬ
明治40年(1907) 光太郎25歳

「ほけ土」は『広辞苑』によれば「ねばりけがなく草木の生育に適さない土」。漢字では「壚土」と書きます。