「あの日」から5年目を迎えました。
「もう5年」、「まだ5年」……感じ方はそれぞれだとは思いますが、前向きに捉えたいと思います。
そこで、甚大な被害を乗り越え、一歩一歩復興へと歩み続けている、宮城県女川町からの情報です。
昭和6年(1931)夏、新聞『時事新報』の依頼で紀行文「三陸廻り」を書くために、光太郎は女川を含む三陸海岸一帯を約1ヶ月旅して歩きました。それを記念して、平成3年(1991)、当時の女川港の海岸公園に光太郎の文学碑が建てられ、翌年からその碑の前で、女川光太郎の会の皆様により、「女川光太郎祭」が開催されるようになりました。
連翹忌にもご参加下さり、女川光太郎の会の中心だった貝(佐々木)廣さんが津波に呑まれて亡くなり、石碑も倒壊、繁華街は壊滅状態になるなどしましたが、震災の年から奥様の佐々木英子さんが遺志を継がれ、女川光太郎祭は毎年続いています。
さて、その女川町でのイベントです。こちらも毎年行われてきましたが、今年は5年目の節目の年ということもあり、さらに盛大に開催されるようです。
夢を叶える町がある 女川町復幸祭2016
開催日 : 平成28年3月26日(土)
時 間 : 10:00〜16:00(予定)
会 場 : 女川駅前広場シーパルピア女川周辺
時 間 : 10:00〜16:00(予定)
会 場 : 女川駅前広場シーパルピア女川周辺
問合せ : 女川町観光協会 TEL:0225-54-4328
『女川町復幸祭』は、東日本大震災から新生女川へ向けて進む姿を全国の人に見て頂きたいという想いと、『千年に一度の町づくり』への夢と希望を託し、大震災の起こった翌年2012年の3月に初めて開催致しました。
2016年で5回目を迎える『女川町復幸祭』、今回は2015年12月23日にオープンした駅前プロムナードでの開催となります。
炭火焼き秋刀魚の無料配布、多数の出店、魅力あるステージ等、一日中楽しめるイベントです。
2016年で5回目を迎える『女川町復幸祭』、今回は2015年12月23日にオープンした駅前プロムナードでの開催となります。
炭火焼き秋刀魚の無料配布、多数の出店、魅力あるステージ等、一日中楽しめるイベントです。
そちらのエリアマップがネット上にアップされています。
故・貝(佐々木)廣氏の奥様・英子さんが店主をなさっている佐々木釣具店さんにもリンクが貼られていました。
さらに、画家でもあった故・貝氏の紹介も。
改めてご冥福をお祈り申し上げます。
こうした動きに対し、まるで逆に水を差すように、「東北観光復興元年」などと、まるで説得力のないきれいごとを選挙対策のための思いつきで言っているようなズレたお坊ちゃまの発言が報じられています。だいたい今年を「元年」と位置づけるなら、これまでの5年は何だったんだ? という感じですね。これまでも頑張ってこられた東北の皆さんに、非常に失礼です。地道に努力している皆さんの神経を逆なでして逆効果になるという予測ができない愚かさには、開いた口がふさがりません。さらに復興とか何とか言いながら、その反対側では稼働させてはいけないものをやっきになって再稼働させているこの矛盾……。本当の復興のためには、何を為すべきか、国民一人一人がよく考えたいものですね。
【折々の歌と句・光太郎】
わが心はじめて怖るあめつちに一あり二なき力にふれて
明治38年(1905) 光太郎23歳
この歌の詠まれた経緯は今一つ不明ですが、災害を題材にしているようにも読み取れます。
「あめつち」=「天地」の力には逆らえませんが、その被害を最小限に食い止めることや、ましてやそれに伴う「人災」を無くすことは不可能ではないでしょう。「あの日」から5年目の今日、考えたい課題です。