一昨日の3月5日、葛飾区のプラネターリアム銀河座さんでのプラネタリウム上映「智恵子抄と春空」を拝見して参りましたが、そちらに着く前の話です。

当日は高速バスで東京駅に出、八重洲地下街で昼食を摂りました。その後、JR東京駅の八重洲地下中央口を目指して歩いていると、こちらのイベントに出くわしました。

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「東北復興 報道写真展」。仙台に本社を置く『河北新報』さんの肝煎りで、この時期、毎年行われています。昨年の紙面に載った震災復興関連の主な記事が、5つのテーマでパネル展示されています。

同時開催で「東北復興展」も開催中。今年は大船渡市観光物産協会さんの共催で、同地の名産品などが販売されていました。

「そういえば、今日は愛知大学さんでシンポジウムだったっけ」と思いながら、拝見しました。

翌日、ニュース検索してみました。 

「3間」喪失、肥満増に影響 子どもの空間・時間・仲間

福島民友新聞 3月6日(日)

 福島大は5日、名古屋の愛知大車道キャンパスでシンポジウム「ほんとの空が戻る日まで―震災・原発事故から5年を迎える福島を考える」を開いた。本県の現状に理解を深めてもらう県外シンポジウムは5回目だが、中京圏では初。松本幸英楢葉町長が参加したパネル討論では、地域の絆をいかに構築するかなど、震災と原発事故から得た教訓を来場者に伝えた。
 パネル討論に参加したのは、松本町長のほか、震災発生後からボランティア活動に尽力しているタカラ印刷(福島市)の林由美子会長、震災時に郡山市のビッグパレットふくしまに設けられた県内最大規模の避難所を運営した天野和彦福島大うつくしまふくしま未来支援センター(FURE)客員准教授、いわき市で避難者の生活状況を調査している土屋葉愛知大准教授ら4人。
 シンポジウムでは子どもをテーマにした鼎談(ていだん)「悲しみ乗り越え前に進む子ども達、進めずにいる子ども達」も行われた。本多環FURE特任教授(こども支援担当)は、本県で震災後に全国平均に比べ不登校や肥満の増加、学力低下の傾向が表れたことについて「震災と原発事故による避難により、子どもたちの生活環境で重要な空間、時間、仲間の『3間(さんま)』が福島県だけ急激に失われたことが原因」との見解を示した。
 本多特任教授は、1980年代にも子どもにとって必要な「時間、空間、仲間」の環境が失われ校内暴力などの荒れた教育環境が表面化したと分析する。
 しかし、それは全国的な現象だったため特定の都道府県が目立つことがなかったが「今回は福島県だけ急激に奪われた」と指摘し、一見すると違う原因があるように見える子どもたちの変化の背景には、共通した教育環境の変化があるとした。
 鼎談では、相馬市出身のシンガー・ソングライター堀下さゆりさん、FUREの中田スウラセンター長と意見交換した。


昨日の『朝日新聞』さんでは、東北地方の首長の皆さんへのアンケート調査が掲載されていました。その中で、「被災地への関心が薄れていると感じるか」との質問にはほぼ全員が「感じる」「時々感じる」と回答されていました。悲しい現実ですね。記憶を風化させないために、まだまだいろいろな取り組みが必要だと思います。復興展やシンポジウムなどもその一つでしょう。ただ、マンネリ化しないことが重要だと思います。

さて、葛飾のプラネターリアム銀河座さんに行く前に、常磐線の南千住駅で途中下車しました。方角的には一緒なので、同駅近くにある円通寺さんという寺院に参拝してから銀河座さんへと、当初からの予定でした。

比較的有名な寺院です。名前は知らなくとも、画像を見れば、ああ、ここか、という方は都内には多いのではないでしょうか。

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本堂の上に、像高12㍍の巨大な観音像。国道4号線沿いですので、非常に目立ちます。この像の原型は光太郎の父・光雲の作です。当方、機会があるたびに光雲作の仏像が納められている寺院を参拝しており、一昨日もその一環でした。

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こちらは幕末の彰義隊隊士の墓などもあります。当方、判官贔屓の傾向が顕著でして、幕末であれば新選組、旧会津藩、彰義隊、遊撃隊などなどの生き様には常々感服しています。

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こちらは移築された、上野戦争で焼け残った寛永寺の黒門。近くまで寄ってみると、弾痕が生々しく残っています。

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さらに戊辰戦争最後の闘い、北海000道函館で、新選組副長土方歳三らと共に闘った松平太郎の墓や、同じく榎本武揚、大鳥圭介、永井玄蕃頭尚志らの追弔碑も。

そこで頭上を見上げれば、再び光雲原型の観音像。

これらの人々、さらには震災で亡くなった多くの皆さんの彼岸での安寧を願い、手を合わせました。

円通寺さんをあとに、国道4号を北上、京成電鉄の千住大橋まで歩き、青砥駅へ。その後、プラネターリアム銀河座さんでの「智恵子抄と春空」拝見、というわけで、時間軸は昨日のブログに戻ります。

もうすぐ3.11。「ほんとの空」が本当に戻り、本当の意味での復興が為される日が来ることを、切に祈ります。


【折々の歌と句・光太郎】

春雨や稍ゝ水たまるかなたらひ          
明治33年(1900)頃 光太郎18歳頃

関東地方は昨夜から雨です。しかしもう冬の氷雨という感じではありません。一雨ごとに春、ですね。