雑誌の新刊です。 

こころ Vol. 29

2016/02/24 平凡社 定価800円+税

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「特別企画 再録・『心』名作館」という項に、光太郎詩「人体飢餓」が収められています。

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平凡社さんの『こころ』は、かつて武者小路実篤が主宰していた雑誌『心』の後継誌としての位置づけだそうで、「再録」と銘打たれているというわけです。武者小路の時代も発売元は平凡社さんでした。

右下は『心』の昭和31年(1956)6月号。光太郎の追悼特集号です。

「人体飢餓」は『心』の創刊号、昭和23年(1948)7月号に掲載されました。花巻郊外太田村の山小屋で、自らの戦争責任を省察する連作詩「暗愚小伝」を書き終え、その罪深さに恐れおののき、自らを厳罰に処するために彫刻を封印していた時期の作です。

長大な詩なので、冒頭部分のみ抜粋します。003

    人体飢餓

  彫刻家山に飢ゑる。
  くらふもの山に余りあれど、
  山に人体の饗宴なく

  山に女体の美味が無い。
  精神の蛋自飢餓。
  造型の餓鬼。
  また雪だ。

  渇望は胸を衝く。
  氷を噛んで暗夜の空に訴へる。
  雪女出ろ。
  この彫刻家をとつて食へ。004
  とつて食ふ時この雪原で舞をまへ。
  その時彫刻家は雪でつくる。
  汝のしなやかな胴体を。
  その弾力ある二つの隆起と、
  その陰影ある陥没と、
  その背面の平滑地帯と膨満部とを。



彫刻の封印は、天性の彫刻家であった光太郎にとって、何より厳しい罰でした。その結果、自分の暮らす山中に現れた雪女の姿を雪で彫刻するという夢想にまで至っています。

この切実な思いが、4年後には青森県からの依頼で封印を解くことになり、「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」として結実します。かつて当方、この詩を引用しながら、そうした光太郎の思いを、昨年刊行された『十和田湖乙女の像のものがたり』中のジュブナイルの部分に書きました。


武者小路が主宰していた頃の『心』に、光太郎は最晩年まで多くの詩を寄せています。昔は普通の雑誌にも詩がかなり載っており、『中央公論』や『週刊朝日』、『婦人公論』、最近何かと話題の『文藝春秋』などにも光太郎の詩が掲載されました。昨今のそれらに現代詩人の詩が載ることはほとんど無いでしょう。

いつのまにか詩というものが大衆から離れていってしまったのかな、という感じですね。


【折々の歌と句・光太郎】

春の風ふきて君が美くしの御筆をさへやさそひ来ぬらし
明治36年(1903) 光太郎21歳

関東では、どうやら冬の寒さは昨日までで、今日からはかなり春めいてくるようです。嬉しいかぎりです。