まずは今週初めの『日刊スポーツ』さんの記事です。 

競歩で高橋英輝が連覇、リオ五輪代表に決定

<陸上:日本選手権>◇21日◇神戸市六甲アイランド甲南大周辺コース◇20キロ競歩

 リオデジャネイロ五輪代表選考会を兼ねた日本選手権20キロ競歩で、男子は高橋英輝(23=富士通)が1時間18分26秒で2連覇を果たし、五輪代表内定を決めた。派遣設定記録だった1時間20分12秒を悠々と突破。「何度もダメかと思ったのですが、最後まで頑張れた。(これから)メダルを目標に頑張りたい」と喜びを語った。
 
 岩手大の学生として臨んだ昨年の同選手権では、1時間18分3秒の当時日本新記録を樹立。後に世界記録を打ち立てる鈴木雄介(28=富士通)に食らいつき、残り1キロで引き離す展開だった。今回は鈴木が欠場。20日には「去年まで雄介さんの力を借りていた。自分でレースをコントロールしたい」と意気込んでいた。序盤から先頭集団を引っ張ると、17キロ辺りからスパートして優勝。新たな可能性を示した歩みになった。
2016年2月21日


それを受けての『岩手日日新聞』さんのコラムです。 

コラム(2/22)

その青年を間近で見たのは、1年前のことだ。陸上競技の選手らしく体形は細身。背広姿であったが、ステージを歩く際には背筋がピンと伸びていた。まずは姿勢の良さが目に付く。「やっぱりトップアスリートともなると随分と違うな…」と感心した
▼いつになく凡夫が熱視線を送った人物とは、競歩界のホープであった高橋英輝選手。彼は岩手大の4年生だった2014年12月、長崎県で開かれた大会の男子1万メートルで日本新記録を打ち立てて優勝。昨年2月26日に岩手日日学生賞が贈られている
▼その贈呈式に出席した人々は、彼のスピーチにも耳をそばだてた。何しろ次のリオデジャネイロ五輪も狙える逸材である。皆が「リオ」や「五輪」の言葉を待ったが青年は謙虚そのもの。「自分は大きなことを言うタイプではありませんから」と語った
▼あれから1年。青年は21日に神戸市で開かれた陸上の日本選手権20キロ競歩で優勝。五輪代表の座を勝ち取った。決してリオ五輪という4文字を口にはしなかったが、「自分のペースで一歩一歩小さな目標をクリアしながらステップアップしたい」と言う、あの日の決意が花開いた
▼改めて記すまでもないが、彼は花巻北高から岩手大に進んだ岩手人。多くを語らず…の姿を見て、高村光太郎の詩「岩手の人」が頭に浮かんだ。「地を往きて走らず、企てて草卒ならず、ついにその成すべきを成す」
▼今年は「希望郷いわて国体」の開催年でもあり、われわれ県民にとっては、これ以上ない大きな喜びである。さあ、次はブラジルの地での晴れ姿。楽しみがまた一つ増えた。


岩手の皆さんにとって、光太郎詩「岩手の人」はかなり馴染み深いものなのでしょう。いろいろな場面で引用されています。

    岩手の人
003
岩手の人眼(まなこ)静かに、
鼻梁秀で、
おとがひ堅固に張りて、
口方形なり。
余もともと彫刻の技芸に游ぶ。
たまたま岩手の地に来り住して、
天の余に与ふるもの
斯の如き重厚の造型なるを喜ぶ。
岩手の人沈深牛の如し。
両角の間に天球をいただいて立つ
かの古代エジプトの石牛に似たり。004
地を往きて走らず、
企てて草卒ならず、
つひにその成すべきを成す。

斧をふるつて巨木を削り、

この山間にありて作らんかな、
ニツポンの脊骨(せぼね)岩手の地に
未見の運命を担ふ牛の如き魂の造型を。

上の画像は高橋選手の母校・花巻北高校の校庭に立つ高田博厚作の光太郎像にはめ込まれたプレートです。像は右の画像。同校と光太郎には直接の関わりはないようですが、光太郎の精神に共鳴した卒業生保護者の拠金で建立されました。

もしかすると高橋選手、これを見てその後の人生が変わったのかも知れません。

寡黙で謙虚な戦士、高橋選手の活躍に期待しております。


【折々の歌と句・光太郎】

河を擁す余寒の窓や筏舟
明治33年(1900)頃 光太郎18歳頃

立春は過ぎましたので、「余寒の候」です。しかし、昨夜から今朝にかけ、当方の住む千葉県北東部でも雪が降りました。積もりはしませんでしたが、我が家の老犬は大喜びでした。