昨日は、福島県いわき市の草野心平記念文学館さんの企画展「所蔵品展「草野心平のスケッチ」」をご紹介しましたが、同館でもう一つ、別の展示も行っています。 

スポット展示 草野天平

会 期 : 2016 年1月2 日(土) ~3月27 日(日)
時 間 : 9:00 ~ 17:00
会 場 : いわき市立草野心平記念文学館常設展示室前
       福島県いわき市小川町高萩字下夕道1番地の39
休館日  月曜日(祝日を除く)、祝日の翌日
料 金 : 無料 (観覧券が必要)

草野天平(くさのてんぺい)は、1910(明治43)年2月28日、東京市小石川区(現在の文京区)に父馨、母トメヨの三男として生まれました。草野心平は7歳年上の次兄にあたります。1915(大正4)年、本籍地である福島県石城郡上小川村(現在のいわき市小川町)に移り、祖父母に育てられていた心平とともに約5年間暮らしました。
1920年に上京後、京都、群馬などを経て、1933(昭和8)年4月、東京の銀座8丁目に喫茶店「羅甸区(らてんく)」を開店。同店で働いていた三原ユキと結婚し、1935年には長男杏平が生まれますが、この間に「羅甸区」は閉店となり、生活に困窮します。天平はこの頃から文学に興味を抱き、心平が持参した岩波文庫などを耽読。1941年頃から詩作を始めたとされています。
1942年1月、妻ユキが亡くなると、幼い杏平を連れて故郷に帰り、雑誌などに作品を発表。1947年に詩集『ひとつの道』を刊行しました。
1950年6月、天平は滋賀県大津市坂本の比叡山に行き、8月には飯室谷の松禅院(しょうぜんいん)への入居を許されて、詩作に専念する生活を送ります。同年10月、鈴木梅乃と結婚。梅乃は天平とその詩作を支えましたが、天平は徐々に体調を崩し、1952年4月25日、詩業半ばにして生涯を終えました。享年42。天平は、松禅院にほど近い、琵琶湖が見える西教寺に眠っています。
天平が亡くなった後、梅乃は天平の作品の顕彰を続け、1958年に刊行した『定本 草野天平詩集』が第2回高村光太郎賞・詩部門を受賞。その後、1969年、『定本 草野天平全詩集』『《挨拶》草野天平の手紙』、2002(平成14)年、『《三重奏》草野天平への手紙』などを刊行しました。
一方、1986年、かつて天平が滞留した比叡山西塔に、詩碑〈弁慶の飛び六法〉を、そして2006年、草野心平生家敷地内の蔵跡に詩碑〈幼い日の思ひ出〉を建立しました。また、2002年、「うえいぶの会」による詩碑〈一人〉(文学館敷地内)の建立に協力しています。
2006年7月30日、梅乃は半世紀余りに及ぶ顕彰活動とともに85年の生涯を終え、天平に寄り添うように西教寺で眠っています。


というわけで、心平の弟にしてやはり詩人であった草野天平に関わる展示が為されています。

42歳での早世でしたので、その詩業は道半ばでしたが、上記紹介文にもあるとおり、没後の昭和34年(1959)に『定本草野天平詩集』で第2回高村光太郎賞(詩部門)を受賞しています。

光太郎は昭和27年(1952)の天平死去に際し、心平に以下の書簡を送っています。

御無沙汰していましたが、先日のおハガキで天平さん逝去の事を知り、いたましい事に思ひました、からださへよければまだうんとのびる人だつたと思ひます、 「火の車」のお店の事も心配してゐます、貴下も健康に気をつけて下さい。小生ともかくも平穏、来月の十和田湖行を今ではたのしみにしてゐます、現地に行つた上で又大いに考へます、

十和田湖云々は、心平も同行した「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」制作のための下見です。

また、昭和28年(1953)10月の雑誌『心』には、こんな文章も寄せています。

 本号にその文章が掲載されるといふ草野天平さんは若いのに昨年叡山で病死された優秀な詩人である。草野心平さんの実弟だが、詩風も行蔵もまるで違つてゐて、その美は世阿弥あたりの理念から出てゐるやうで、極度の圧搾が目立つ。きちんと坐つたまま一日でもじつとしてゐるやうな人で、此人のものをよむとシテ柱の前に立つたシテの風姿が連想される。


さて、関連行事も企画されています。 

草野天平の集い

期  日 : 2016 年2月28 日(日)
時  間 : 13:30 ~ 14:30
会  場 : 草野心平生家(いわき市小川町上小川字植ノ内6番地の1)
料  金 : 無料

詩人草野天平(心平実弟)の誕生日にちなんだ催しです。天平の作品や彼が愛した音楽を朗読、演奏します。

出演 Happy Pockets(ハッピーポケッツ) 2006年から活動している二人組の音楽ユニット。
ギター奏者:小関佳宏(こせきよしひろ 仙台市在住)ギターソロをはじめ、多様なアンサンブルにおいて生の音色を生かしての演奏活動を展開。仙台市内を中心に楽曲提供、コンサートプロデュース等活動の場を広げている。東北福祉大学クラシックギター部講師。
ボイスパフォーマー:荒井真澄(あらいますみ 仙台市在住) 2004年より仙台、東京で朗読パフォーマンスも開始。これまでに読んだナレーションは2,000本以上。CMソングも歌っている。大人から子供まで、10種類以上の声を駆使し、物語をカラフルに描きだす。
 
内容 天平の作品(「私のふるさと」ほか)を、ゆかりの曲(シューベルト「鱒」、天平作詩「幼い日の思ひ出」ほか)の演奏とともに紹介する。

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たびたび「智恵子抄」がらみの朗読公演をなさっている荒井真澄さんがご出演。今年の荒井さんからの年賀状にご案内が書かれており、知った次第です。

荒井さんに関してはこちら。

会場となる心平生家についてはこちら。

当方も聴きに行って参ります。みなさまもぜひどうぞ。


【折々の歌と句・光太郎】

寺の塔を圧して雪の何山ぞ        明治42年(1909) 光太郎27歳

欧米留学の終わり近く、スイス経由のイタリア旅行に際しての作です。従って「寺」は仏教寺院ではなく、カトリックの教会を指します。明治期には光太郎に限らず一般的に、教会を「寺」と表記することがしばしばありました。

ただ、日本のどこかの雪国にある三重の塔、といったイメージで捉えてもいいように思われます。