改めまして、新年明けましておめでとうございます。今年も高村光太郎・智恵子、光雲の世界を広めるため、さまざまな情報をご提供して参りますので、よろしくお願いいたします。
それ以外の部分では、昨年までの3年間、毎日、【今日は何の日・光太郎】シリーズで、その日にあった光太郎智恵子、光雲関連の出来事をご紹介していました。さすがに3年間でネタが苦しくなりましたので、今年は方向性を変えます。
というわけで、早速。
【折々の歌と句・光太郎】
年ごとに年はむかへつたぐひなき今年の年のいよよまさきく
昭和22年(1947) 光太郎65歳
彫刻家、そして詩人として名高い光太郎ですが、その生涯に数多くの短歌や俳句なども残しています。そこで、かつて『朝日新聞』さんに詩人の大岡信氏が約30年連載した「折々のうた」(第1回が光太郎の短歌でした)に倣い、一日一首・句ずつ、折々の光太郎作品を取り上げていく予定です。
さて、昭和22年(1947)、光太郎は花巻郊外太田村の山小屋で、2度目の新年を迎えました。移住当初は本阿弥光悦へのリスペクトから「昭和の鷹ケ峯」を作る、といった無邪気な夢想とも云える考えでしたが、山林孤棲、独居自炊の生活の中で、自らの戦争責任を省察する毎日を送るうちに、ある意味ストイックな修行僧のような暮らしへと、その意義が変容していきました。
そうした中で生まれたこの一首。「まさきく」は「真幸く」。「幸せに」の意の副詞です。
画像は当方の自宅兼事務所のある千葉県香取市、利根川河畔での初日の出です。
ほんとうに今年一年が「まさきく」あってほしいものです。
作品の表記は筑摩書房『高村光太郎全集』、そこに未収のものは当方編集の「光太郎遺珠」に従い、光太郎の年令は数え年で表記いたします。