昨日まで延々と約一週間、智恵子の故郷・二本松で当方が講師として行った市民講座「智恵子講座’15 高村智恵子に影響を与えた人々 成瀬仁蔵と日本女子大学校」の内容を換骨奪胎してお届けしてきました。その間に全国の新聞各紙で光太郎智恵子の名が出ていますので、ご紹介します。 

まずは『長崎新聞』さんの一面コラム。 

水や空 言うまいと思えど…

「You might think but today 's some fish.」。冬が来るたびに中学時代のある日の英語の授業を思い出す。黒板にこう書いた先生がニヤリと笑って「和訳してごらん」▲広く知られる言葉遊びらしい。正解は「言うまいと/思えどきょうの/寒さかな」...。めったに冗談など言わないタイプの人だったから、あ、笑うところか、とクラスの皆が気づくのに、微妙な間が空いたことまで覚えている▲「暖冬」の予測がなかったか、と思わず記憶を確認したくなるような「言わずにいられない寒さ」がここ数日続いている。秋の気温が高めだったことも、いくらか体感には影響しているだろうか▲この季節を「きりきりともみ込むような」「人にいやがられる」「草木に背かれ、虫類に逃げられる」と表現したのは高村光太郎。こちらは国語の教科書が懐かしい▲凡人のわが身は「僕に来い、僕に来い」「しみ透(とお)れ、つきぬけ」と、厳しさを迎え撃つ心境にはなれない。でも、春がうれしいのは、冬の向こう側にあるから、ということぐらいは分かる。受験生はいよいよスパートの頃か▲あすは冬至。一年で最も昼が短いこの日を「冬が至る」と名付けた先人のセンスに脱帽しつつ、それぞれの春を目指す皆さんにエールを送る。(智)
(2015/12/21)

めっきり「冬」となりました。


続いて、同じ日の『朝日新聞』さんの「朝日俳壇」。

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「レモン香る智恵子の空を見しことも」 (東京都)大澤都志子

清々しいレモンの香りは、冬の凛とした空気によく似合うような気がします。


さらに同日の『福島民友』さん。過日の「智恵子講座’15 高村智恵子に影響を与えた人々」第3、4回の模様を報じています。

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12月23日には青森の地方紙『デーリー東北』さんの一面コラム。 

天鐘

 奥入瀬渓流の名所・銚子大滝の近くに詩人佐藤春夫の作品を刻んだ岩が残る。「おちたぎり急ぎ流るるなかなかに…」。渓流の美しさをたたえた長歌「奥入瀬谿谷(けいこく)の賦(ふ)」の返歌だという▼詩碑は国立公園指定15周年を記念し、湖畔休屋に立つ高村光太郎の「乙女の像」と同じ1953年10月21日に除幕された。今では十和田湖のシンボルとなった一対の裸婦像とは対照的に、詩碑は見ることも難しい▼遊歩道からほど近い場所なのに、岩は草木に覆われてしまい、苔(こけ)むして文字が容易に判別できない。何より詩碑の位置確認を困難にしているのは、自然保護の観点から、近づかないように規制されているためだ▼同じ理由からだろうか。環境省は、奥入瀬渓流の石ケ戸付近で以前は見られなかった藻が2年ほど前から急激に増えているという市民団体の指摘に対し、自然現象として推移を見守る構えだという▼小紙の報道によれば本格的な調査をしておらず、どんな藻なのか特定されていない。生態系に害を及ぼす恐れのある特定外来生物に指定されている植物は13種。その中にはオオフサモという藻もある▼幸い、奥入瀬渓流の藻は特徴が異なり、該当しないようだ。それでも、環境省が植生の変化に無頓着でいいはずがない。単に時の流れに委ねるなら無為無策のそしりは免れない。些細(ささい)な変化を見逃して手遅れの事態を招く愚挙だけは避けたい。


記述があるとおり、光太郎の「十和田湖畔の裸婦群像(通称・乙女の像)」と同じ日に除幕され、光太郎もその除幕式に立ち会った佐藤春夫の碑に関してです。

昨年、当方も現地に行きました。たしかにもはや石碑であることすらわからない状態です。しかし、当の佐藤春夫はそうなるならそれはそれでいい、的な発言をしていました。

自然保護の観点がからみ、難しい問題ですね。



訃報も出ました。 

浪曲師の国本武春さん死去 「うなるカリスマ!」

 「うなるカリスマ!」で知られる浪曲師で、NHK・Eテレ「にほんごであそぼ」出演でも親しまれた国本武春(くにもと・たけはる、本名加藤武〈かとう・たけし〉)さんが24日、脳出血による呼吸不全のため亡くなった。55歳だった。葬儀は近親者で営む。後日、お別れの会を開く予定。

 千葉県出身。浪曲師の両親のもとに生まれ、1981年に東家幸楽に入門した。曲師が弾く三味線を伴奏に演目を語る従来の浪曲にとどまらず、三味線の弾き語りのスタイルで活躍。浪曲界の牽引役(けんいんやく)の中核だった。2000年には芸術選奨文部大臣新人賞を受賞し、テレビや舞台にも数多く出演した。日本浪曲協会副会長も務めた。

 10年12月、公演中に意識を失って入院。リハビリを経て5カ月後に舞台に復帰したが、今月、脳出血で救急搬送され、休養していた。

 代表作は古典「赤穂義士伝」、三味線弾き語りでは「ザ・忠臣蔵」シリーズなど。
(『朝日新聞』 2015/12/24)
 

浪曲師、国本武春さん死去 55歳

 浪曲師の国本武春氏(くにもと・たけはる、本名・加藤武=かとう・たけし=)が24日、急性呼吸不全のため死去した。55歳。通夜、葬儀・告別式は近親者による密葬、後日、東京都内でお別れ会を行う予定。喪主は妻、桂子(けいこ)さん。

 12日の公演リハーサル中に脳出血を起こし、治療中だった。浪曲師の母の勧めで、三味線を学び、昭和56年東家幸楽に入門し浪曲師に。「忠臣蔵~殿中刃傷編」が十八番。三味線の弾き語りで、ロックやバラードを演奏。忠臣蔵や民話・昔話などを題材にしたオリジナル作品を数々発表した。ブロードウェイ・ミュージカル「太平洋序曲」(宮本亜門演出)に出演するなど幅広く活動した。NHK・Eテレの子供番組『にほんごであそぼ』にも出演、うなりやベベン役で子供から人気を集めた。平成11年度第50回芸術選奨文部大臣新人賞、13年度花形演芸大賞など受賞。日本浪曲協会副会長。
(『産経新聞』 2015/12/24)


つい最近、今月放映されたNHKさんの「にほんごであそぼ」でも、光太郎の詩に曲をつけた「ベベンの冬が来た」の演奏が放映されました。

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謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月28日

昭和27年(1952)の今日、ブロンズ彫刻「腕」の箱書きをしました。

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作品自体は大正7年(1918)のものですが、戦後になって、画商が箱書きを頼みにやってきました。