12/13(日)、花巻高村光太郎記念会の高橋事務局長にお迎えに来ていただき、旧太田村の高村光太郎記念館さんに参りました。
数日前に大雨だったり暖かかったりで、雪はほとんど残っていません。
まずは10月から開催中の企画展「高村光太郎山居七年」(後期)を拝見。旧太田村時代の光太郎の作品や遺品類がいろいろと並んでいます。藁で作られたツマゴ(雪靴)など、季節にこだわったものも。
入り口にはA5判18頁のパンフレット『山居七年 年譜』が置かれています。この企画展のために当方が作成したもので、企画展示室内にパネルとして展示してあるものを、冊子にしてくださいました。光太郎日記、書簡、周辺人物の証言記録などから作成したもので、無料で配布しています。
こんな感じで18頁です。
企画展「高村光太郎山居七年」(後期)、2月22日(月)までです。ただし、12/28~1/3が休館です。ぜひ足をお運びください。
その後、隣接する高村山荘へ。基本的に山荘は冬期間閉鎖ですが、役得で中まで入らせていただきました。
草野心平筆による「無得殿」の扁額。山小屋の廻りを覆う套屋(とうおく)に掲げられています。
内部には、光太郎がここで暮らしていた頃使っていたものがそのまま残っています。
ここに入るたびに、粛然とした思いにさせられます。
その後、また高橋事務局長のお車で、昨日も少しご紹介した、この山小屋に入る直前に暮らしていた花巻市街桜町の佐藤家へ。しかし、約束の時間にまだ間があるので、行き道、山荘・記念館近くにある寺院2ヶ所に立ち寄りました。
いずれも光太郎ゆかりのお寺で、まずは音羽山清水寺さん。坂上田村麻呂の勧進による創建ということで、京都の清水寺とつながるお寺です。光太郎は昭和27年(1952)、ここで高村東雲作の聖観音像開眼供養に参加しています。東雲は光太郎の父・光雲の師。前年には東雲の孫に当たる高村晴雲が山小屋を訪れており、その関係もあるようです。
山門は昭和初期、本堂は江戸時代のものだそうですが、それぞれ立派なものでした。
続いて法音山昌歓寺さん。こちらは光太郎がこの地にいた頃のご住職と親交があり、たびたび訪れたお寺です。毎年、花巻町の松庵寺さんで行っていた光雲・智恵子の法要を、昭和25年(1950)だけはこちらで行っていますし、昭和27年(1952)には、消防団主催の相撲の会を見物したりもしています。
特筆すべきは、木像十一面観音像。光太郎にその制作を依頼したものの、結局それは果たされず、代わって光雲の弟子筋に当たる森大造が制作しました。昨年、それにまつわる文書が出て来まして、このブログにてご紹介しました。
いいお顔をなさった立派な仏様です。
こちらはこの像の願主である八重樫甚作の像。やはり森の手になるものだそうです。
他にも光太郎に絡む品がありそうなので、またゆっくり訪れたいと思っております。皆様も高村山荘・記念館に足をお運びの際はぜひどうぞ。
その後、花巻市桜町の佐藤邸へ。続きは明日。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月16日
昭和25年(1950)の今日、新潮社から新潮文庫版『高村光太郎詩集』のための検印紙5,000枚を受け取りました。
昔の書籍は奥付に検印紙といって、著者の印鑑を押したものが貼られていました。検印紙の発行枚数イコール出版部数とカウントし、著者に払う印税の計算のためのものでした。現在はこうしたシステムは廃止されています。
新潮文庫版『高村光太郎詩集』、編者は伊藤信吉で、結局初版はさらにプラス5,000で、一万部だったようです。
現在も版を重ねています。