一昨日(12/12・土)、午前4時30分に自宅兼事務所を出、一路、秋田県横手市を目指しました。

横手駅に到着したのは午前11時28分。JR北上線で奥羽国境山脈を越えるあたりは一面の銀世界でしたが、山を下ると雪は消え、少し拍子抜けでした。

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上は駅前のショーウィンドウで見つけたLEDを使ったミニかまくら。実際の雪は日陰に残っている程度でした。

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朝が早かったので早めに昼食を摂り、横手バスターミナルから路線バスの本荘線に乗り込みました。のどかな田園風景を揺られること30分あまり。

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途中、車窓から見た「なまはげ」。

降り立ったのは「新道角」というバス停。「新道」と言いながら、旧道の情緒が残っており、当方の大好きな雰囲気の道を歩くこと10数分、目指す雄物川郷土資料館さんに着きました。

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こちらでは第3回特別展「横手ゆかりの文人展 大正・昭和初期編 ~あの人はこんな字を書いていました~」が開催中で、『高村光太郎全集』等に未収録の光太郎の書簡も展示されているとのこと。期待が高まります。

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入場料100円也を払って、さっそく展示室に入いると、正面に光太郎書簡がありました。いずれも横手出身の画商・旭谷正治郎に送った封書が1通、葉書が2通の計3点でした。

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昭和21年(1946)、光太郎が隠遁生活を送っていた花巻郊外太田村の山小屋に、旭谷から麹が届けられたことに対する礼状(葉書)、後日、麹の返礼に書を贈った際の添え状(封書)、そして時期は不明ですが、山小屋生活の報告的な葉書。どれも興味深く拝見しました。

さらにパネル展示で、横手での光太郎の写真も。おそらく旭谷の麹の入手元、近野麹屋でのカットでした。光太郎は昭和25年(1950)の3月10日から12日にかけ、講演のため横手を訪れています。その際に泊まったのが近野麹屋でした。店主・近野廣は趣味人としても名が通り、さらに高校のPTA役員をしていた関係で、講演の企画やら光太郎の接待やらに奔走したそうです。『高村光太郎全集』には、講演が終わって太田村に帰ってからの近野宛の光太郎書簡が掲載されています。さらに翌年、近野から麹と秋田銘菓の「もろこし」を小包で受け取った礼状も。

さて、「横手ゆかりの文人展」、光太郎以外にも様々な人物から旭谷宛の書簡などがずらりと並んでいて、壮観でした。光太郎と縁のあったところでは、白樺派での盟友・武者小路実篤。武者は書簡だけでなく絵も展示されていました。さらに石井柏亭、梅原龍三郎、安井曾太郎といった、光太郎と旧知の画家達。

そして東京美術学校西洋画科での光太郎の同級生、藤田嗣治。藤田には「秋田の行事」(昭和12年=1937)という大作があります。光太郎詩「雨にうたるるカテドラル」も取り上げられる映画「FOUJITA」(小栗康平監督・オダギリジョー主演)が公開中ですが、この映画のロケが、横手でも行われたとのことで、映画のチラシも置いてあり、いただいてまいりました。

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先月、封切りの日に千葉市の京成ローザさんで拝見した際に、館ではもうチラシが残っていなかったので残念に思っていましたが、意外な所でゲットできました。

ちなみにチラシ裏面がこちら。一番上の、オダギリさんと妻・君代役の中谷美紀さんが能面を観ているシーンなどは、当方の住む千葉県香取市でロケが行われました。不思議な縁を感じました。

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ゆっくり拝観したかったのですが、バスの都合があり、急いで館を後にし、バス停まで走りました。あやうく横手駅前で食べた昼食のカツカレーをリバースしそうになりました(笑)。どうにかバスには間に合ったものの、真冬の東北にもかかわらず、汗だくになりました(笑)。

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横手駅から北上線が出るまでの待ち時間、駅からほど近い横手図書館で調べ物。上記の近野廣と光太郎の関わりなどを記した文献を見つけ、コピーして参りました。それによると近野家には光太郎の書がたくさん残されたとのことで、こちらも現存するものであれば見てみたいものです。大半は他の人にも同じ文句を書いて贈ったものですが、一点、他に類例の確認できていない言葉を書いた色紙があるようです。

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その後、北上線に乗り込み、北上駅から東北本線に乗り換えて花巻へ。以下は明日、レポートいたします。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月14日

平成4年(1992)の今日、東北の地方紙『河北新報』に「光太郎日記のこと」というエッセイが掲載されました。

筆者は宮城県母子愛護病院長(当時)・熊谷一郎氏。『高村光太郎全集』に収められた昭和27年(1952)の日記に、ご自分が花巻郊外太田村の山小屋を訪れた際の記述を見つけた、という内容でした。

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実際にその日の日記を読むと、「学生」とは記されていますが、熊谷氏のお名前はありません。しかし、後になって当事者の証言でその正体(笑)が判明した稀有な例です。