近々放映されるテレビ番組情報です。再放送も含みます。 
NHK Eテレ 2015年12月13日(日)  9時00分~9時45分
                     再放送 12月20日(日) 20時00分~20時45分

1月に閉館する神奈川県立近代美術館・鎌倉は“カマキン”の愛称で親しまれてきた。鶴田真由さんと最後の展覧会を訪ね、美術館の意義、収蔵作品や建物の魅力を紹介する。

“カマキン”の愛称で親しまれてきた神奈川県立近代美術館・鎌倉が、1月に閉館する。65年前日本最初の公立美術館として誕生、クレーやムンクを初めて本格的に紹介するなど先端的な存在であり続けた。番組では、幼いころからカマキンに親しんできた鶴田真由さんとともに最後の展覧会「鎌倉からはじまった。」を訪問。坂倉準三設計の建物の“ひかれる場所”を写真撮影しながら、美術館が人の心にどんな贈り物をしたのか振り返る。

司会 井浦新,伊東敏恵003

ゲスト
鶴田真由さん(女優)
長門佐季さん(神奈川県立近代美術館主任学芸員)
酒井忠康さん(世田谷美術館館長)
水沢勉さん(神奈川県立近代美術館館長)


10月のこのブログでご紹介した、光太郎彫刻・油彩画も展示されている神奈川県立近代美術館・鎌倉館「鎌倉からはじまった。1951-2016 PART 3:1951-1965 「鎌倉近代美術館」誕生」」からの番組内容です。

出演者のうち、水沢勉さん(神奈川県立近代美術館館長)、長門佐季さん(神奈川県立近代美術館主任学芸員)は、昨年の連翹忌にご参加下さいました。

実は今日、水沢館長のギャラリートークがあるというので、「カマキン」さんにお邪魔する予定でした。しかし、急遽、秋田横手の雄物川郷土資料館さんに行く先を変更しました。第3回特別展「横手ゆかりの文人展 大正・昭和初期編 ~あの人はこんな字を書いていました~」を拝見してきます。  

宿泊は花巻。花巻高村光太郎記念会の方々と、いろいろ打ち合わせ、さらに明後日は高村光太郎記念館企画展「高村光太郎山居七年」(後期)を拝見してきます。
 

あの日 わたしは~証言記録 東日本大震災~「宮城県女川町 勝又愛梨さん」

NHK総合 2015年12月14日(月)  23時20分~23時25分

東日本大震災に遭遇した人々の証言。宮城県女川町の高校生、勝又愛梨さんは、大好きだったそう祖父母を奪った津波の怖さを後世に伝えるために災害の教材づくりに取り組む。

12/7(月)の昼間に本放送があり、今回は再放送です。同じ女川町にかつて建てられた高村光太郎文学碑の精神を受け継ぐ「いのちの石碑」プロジェクトなどが取り上げられます。5分間の短い番組ですが、感動ものです。
 
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にほんごであそぼ

NHK Eテレ 2015年12月17日(木)  6時45分~6時55分  再放送 17時10分~17時20分

2歳から小学校低学年くらいの子どもと親にご覧いただきたい番組です。日本語の豊かな表現に慣れ親しみ、楽しく遊びながら“日本語感覚”を身につけることができます。今回は、きっぱりと冬が来た「冬が来た」高村光太郎、コニちゃんの相撲の決まり手/特殊技、文楽/白雪姫、ちょちょいのちょい暗記/7級「十二ヶ月」岐阜県 白川郷、うた/村の鍛冶屋、ベベンの冬が来た

出演者 豊竹咲甫大夫,鶴澤清介,三世 桐竹勘十郎,うなりやベベン,小錦八十吉,おおたか静流 ほか


こちらも再放送。本放送は12/3(木)でした。

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英雄たちの選択「藤田嗣治“アッツ島玉砕”の真実」

NHKBSプレミアム 2015年12月17日(木)  20時00分~21時00分

戦前、フランスに渡った藤田嗣治は、「乳白色の肌」の裸婦で高い評価を受け、本場の画壇で成功を収めた。しかし、時代が戦争へ傾くと、戦火を避け帰国、軍の要請を受諾し戦争画を制作する。1943年(昭和18年)、藤田が描いた「アッツ島玉砕」。藤田が、この戦争画にこめた思いは?戦意高揚のプロパガンダなのか、あるいは芸術なのか?「アッツ島玉砕」制作の真実に迫る。

司会  磯田道史,渡邊佐和子,
出演  一ノ瀬俊也,中野信子,高橋源一郎,三浦瑠麗,
語り  松重豊

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光太郎詩「雨にうたるるカテドラル」(大正10年=1921)が取り上げられる映画「FOUJITA」が公開中で、やはり我が国を代表する小栗康平監督作品ということもあり、関連番組も多く作られています。おそらく今回も映画「FOUJITA」の紹介があるでしょう。

光太郎は詩文による戦争協力、藤田は絵による戦争協力。そこには相通じるものがあるように感じます。そうした話が出ればなおよいのですが……。


以上、ぜひご覧下さい。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月12日

慶応元年(1865)の今日(旧暦ですが)、江戸浅草で大火がありました。

現在の駒形あたりから出火、強風にあおられて燃え広がり、浅草のランドマーク、浅草寺の雷門も焼け落ちました。

数え14歳だった光雲は、師匠・高村東雲のもとで年季修行中。師匠の家も焼け、命からがらの目に遭ったことが、昭和4年(1929)刊行の『光雲懐古談』に記されています。画像は『光雲懐古談』に載った類焼地域の図です。

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ところでこの大火の日付ですが、ネットで調べると「12月12日」と「12月14日」と、2種類あります。『光雲懐古談』では14日。しかし、当時のかわら版などによると、どうも12日が正解のようです。浅草寺さんのHPなどでも12日説を採っています。

なにはともあれ、火の用心、ですね。