福島県中通り、智恵子の故郷、二本松に隣接する大玉村という小さな村からのニュースです。
福島)ペルーの空へ 長靴よ届け
『朝日新聞』 福島版 2015/12/7
「ほんとの空」からペルーの空へ飛んでけ~! 大玉村で6日、マチュピチュ村との友好都市締結を記念した長靴投げ大会と牛乳早飲み大会が開催された。農業と畜産業が盛んな村で、多くの人がお世話になっている「長靴」への感謝を込めたという。
安達太良山のふもとに広がる大玉村ふれあい広場。風が強く吹く中、長靴投げ大会は始まった。上投げや下投げ、普段は履いているゴムの長靴をめいっぱい空へ向かって投げる。
玉井小学校5年の官野祐太君(10)は「長靴を飛ばす機会が来るとはおもわなかった。なかなか飛ばなくて悔しい。来年こそは」と誓っていた。マチュピチュ村までの距離約1万5千キロ。今回の最高記録は35・3メートルだった。
同時に開催された牛乳早飲み大会では、コップの牛乳をストローで飲む時間を競った。寒さで手を震わせながらも、親子ともども必死に飲み干していた。
大玉村とマチュピチュ村は10月、村出身の野内与吉氏がペルー移住後にマチュピチュ村長を務めたことなどから、友好都市提携を結んだ。今後も様々なイベントを開催し、PRしていきたいという。
「長靴」マチュピチュに届け~! 友好都市締結の大玉で催し
『福島民友』 2015/12/9
南米ペルーのマチュピチュ村と友好都市協定を結んだ大玉村の若手有志らでつくる「ブルースカイおおたま」(鈴木正広代表)は6日、国道4号沿いの同村ふれあい広場で「マチュピチュに届け~長靴投げ・牛乳のみ大会」を開き、参加者が寒空の中、元気いっぱいに動き回った。東邦ゴム工業、東北協同乳業の特別協賛。
友好都市締結を地元から盛り上げようと9月に発足した同団体の初イベント。多くの村民が参加し、牛乳早飲みや長靴投げに挑戦した。
同団体は今後、定期的に地域活性化に向けたイベントに取り組んでいく予定。
友好都市提携については、9~10月に報じられていました。
マチュピチュ村、福島の恩忘れず 大玉村と友好都市に
『朝日新聞』 2015/9/4
「空中都市」と呼ばれる世界遺産のマチュピチュ遺跡があるペルーのマチュピチュ村と、福島県大玉村が友好都市提携する。3日、ペルーのエラルド・エスカラ大使らが発表した。マチュピチュ村が提携するのは初めて。村に移り住み、世界的な観光地になる礎を築いた村長が大玉村出身だったことから、マチュピチュ村が提携を申し入れた。
安達太良山(あだたらやま)のすそ野に広がる大玉村(人口約8500人)で記者会見を開いたエスカラ大使によると、マチュピチュ村は遺跡のある山のふもとに約3千人が住む。世界中から多くある友好都市提携の申し入れを「縁や関わりがないから」と断り続けてきたという。「恩人、野内与吉さんの故郷と真っ先に提携を結びたかった」と村の意向を説明した。
野内さんは1917年、21歳の時に移民としてペルーへ渡った。国鉄に勤め、マチュピチュ村までの線路敷設に携わった後、遺跡の美しさを世界に広めたいと移住。何もなかった村に水力発電設備を作り、ホテルを建てた。2年間村長を務め、69年に亡くなった。
マチュピチュ村は以前から大玉村に提携を申し入れていたが、大玉村側の渡航資金不足などで実現していなかった。2012年、野内さんの孫で名古屋市に住むセサル良郎さん(39)の働きかけで、大玉村民らがマチュピチュを訪問。提携の機運が高まった。
提携式は10月、マチュピチュ村で開かれる。今後、学生の交流や農業研修を進める予定。良郎さんは「マチュピチュに電気という希望の灯火をつけた祖父の功績が、今度は原発事故で苦しむ福島の明かりとなるのならうれしい」と話す。
大玉村の押山利一村長は「世界で最も有名な村の友好都市になることで大玉村を知ってもらえる。先祖が残した大いなる遺産だ」と笑顔を見せた。(江戸川夏樹)
友好都市協定を締結 世界初大玉村とマチュピチュ村 遺跡で式典
『福島民報』 2015/10/28
【ペルー・マチュピチュ村で田口敏啓本宮支局長】大玉村は26日(日本時間27日午前)、ペルーのマチュピチュ村と友好都市協定を結び、末永い交流を誓った。
大玉村にとって初めての友好都市で、マチュピチュ村が海外の自治体と相互に連携する取り決めを結ぶ第一号となった。
締結式は空中都市として知られる世界遺産「マチュピチュ遺跡」で行われた。羽織はかま姿の押山利一大玉村長と、ペルーの伝統衣装を着たダビ・ガヨソ・ガルシアマチュピチュ村長が協定書にサインした。遠藤義夫村議会議長、野内文孝村国内外交流推進会議会長、株丹達也駐ペルー大使らも出席した。
ペルーの山間地帯は現在、雨期。インカの司祭による儀式の最中、晴れていた空に突然雷鳴が響き、神秘的な場面を演出した。
協定書は7項目からなり、農業分野では両村の農業技術や成功事例について情報交換するとしている。文化面ではマチュピチュ村が織物などの伝統技法や考古学の知識を大玉村に伝える。防災面では大玉村が消防ポンプ車をマチュピチュ村に贈る計画を進める。地域づくり、教育分野の交流なども項目に盛り込まれた。
協定締結は大玉村出身の移民・故野内与吉氏が初代マチュピチュ村長を務めた縁がきっかけとなった。
大玉村にとって初めての友好都市で、マチュピチュ村が海外の自治体と相互に連携する取り決めを結ぶ第一号となった。
締結式は空中都市として知られる世界遺産「マチュピチュ遺跡」で行われた。羽織はかま姿の押山利一大玉村長と、ペルーの伝統衣装を着たダビ・ガヨソ・ガルシアマチュピチュ村長が協定書にサインした。遠藤義夫村議会議長、野内文孝村国内外交流推進会議会長、株丹達也駐ペルー大使らも出席した。
ペルーの山間地帯は現在、雨期。インカの司祭による儀式の最中、晴れていた空に突然雷鳴が響き、神秘的な場面を演出した。
協定書は7項目からなり、農業分野では両村の農業技術や成功事例について情報交換するとしている。文化面ではマチュピチュ村が織物などの伝統技法や考古学の知識を大玉村に伝える。防災面では大玉村が消防ポンプ車をマチュピチュ村に贈る計画を進める。地域づくり、教育分野の交流なども項目に盛り込まれた。
協定締結は大玉村出身の移民・故野内与吉氏が初代マチュピチュ村長を務めた縁がきっかけとなった。
縁は異なもの味なもの、という感じですね。世界遺産のマチュピチュ遺跡同様、「ほんとの空」のある安達太良山も世界的に注目されてほしいものです。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月11日
昭和52年(1977)の今日、千葉県成田市の成田山史料館で開催されていた「没後30年記念 水野葉舟―三里塚の文人たち―」展が閉幕しました。
水野葉舟は明治16年(1883)、光太郎と同じ年の生まれです。与謝野鉄幹・晶子の新詩社に依り、光太郎と知り合いました。その後、小説家に転じましたが、思うところあって大正13年(1924)千葉県印旛郡遠山村(現・成田市)に移り住み、昭和22年(1947)に歿するまで、晴耕雨読の生活を続けました。後の光太郎の花巻郊外太田村での隠遁生活に影響を与えた一人です。
光太郎は葉舟の著書の装幀などにかかわり、遠山村もたびたび訪れました。そうした関係で、光太郎に関する資料も多数並びました。
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