このブログで先月お伝えした、昭和32年(1957)の東宝映画「智恵子抄」で智恵子を演じた元女優の原節子さん。
先週、二本松から、映画「智恵子抄」がらみの続報が舞い込んできました。
福島)昭和の大横綱と大俳優 二本松市に足跡あり
『朝日新聞』 福島版 2015/12/2
はりのある肌、浮き出る筋肉。九州場所中に急死した大横綱・北の湖理事長を描いた肖像画の展示が大山忠作美術館(二本松市本町2丁目)で始まった。同市出身の画家大山さんが1982年、60歳の時に、当時横綱だった北の湖関にほれ込んで描いたという。
北の湖関に父のように慕われ、酒を酌み交わした大山氏。ポーズをとる横綱をスケッチし、数カ月かけて絵に命を吹き込んだ。和紙に岩絵具を何度も重ねた絵は立体感にあふれる。
お礼に、と渡されたのが土俵入りに使ったしめ縄だ。丸く結ばれた雲竜型は小さく見える。だが大人2人でやっと運べるという重さだという。肖像画と共に来年4月まで展示される。
二本松は9月に亡くなった原節子さんが映画「智恵子抄」(1957年)のロケで訪れた場所でもある。市智恵子記念館(同市油井)に残されたアルバムには、二本松城跡の天守台でほほえむ写真が収められている。
当時の新聞記事によれば、智恵子を演じた原さんと高村光太郎役の山村聡さんは2日間、城跡や智恵子の生家で熱演。2、3千人の見物人が詰めかけたそうだ。アルバムにはロケの合間にご飯を食べる原さんの写真や、「郷土二本松本格的ロケ敢行」とうたった新聞広告もある。
新野洋市長は11月27日の定例会見で「二本松にいた原さんの姿をぜひ映像で見せられるような企画をたてたい」と話した。
「二本松にいた原さんの姿をぜひ映像で見せられるような企画」という新野市長のご提案、ぜひとも実現して欲しいものです。
当方の手もとにもいろいろと関連資料がありますが、二本松市近辺でも個人のお宅などにこうした写真類などが探せばありそうな気もします。
記事の前半にある故・大山忠作画伯は、「智恵子に扮する有馬稲子像」など、智恵子をモチーフにした作品も何点か遺されています。そのご縁で、お嬢さんである女優の一色采子さんは、4/2の連翹忌にご参加下さっています。そのあたりもからめた企画もありなのではないでしょうか。
ところで、昨夜、BS-TBSさんで放映された「美しい日本に出会う旅」を拝見しました。サブタイトルが「 憧れの紅葉・絶景スペシャル~錦秋の北アルプス・京都・奈良」。「福島」の文字が入っていなかったのですが、磐梯山、会津若松、そして安達太良山が取り上げられました。どうも当初の予定では福島を取り上げる予定ではなかったのが、急遽、入れたように思われます。ネットのテレビ番組情報サイトでも、放映前日の一昨日になって「安達太良山」の検索ワードで網に引っかかりました。
安達太良山は、10月中旬のロケだったそうです。
歌舞伎俳優・中村七之助さんのナレーションで、光太郎詩「あどけない話」も紹介して下さいました。
こういう場合、画面に詩句がテロップで流れるのが普通です。
上は今年2月にNHK BSプレミアムさんで放映された「にっぽん百名山 安達太良山」。下は昨年11月、BS-TBSさんで放映された「日本の名峰・絶景探訪 #58 「紅葉色めく湯の山 安達太良山」」。
今回、それはありませんでした。こうしたところも、急遽、福島編を追加したからではないかと思われます。
まあ、それでも「ここにほんとの空がありました」的なナレーションが入ったので、よしとしましょう。来年の紅葉シーズン前にでも再放送していただき、観光客誘致につながってほしいものです。
ところで、先月、NHKBSプレミアムさんでは、「にっぽん百名山SP あなたが好きな山!深田久弥が愛した名峰へ」という番組があり、その中でも安達太良山と「あどけない話」が紹介されました。しかし、その時には番組情報サイトに「安達太良山」の文字が入っていなかったため、事前に把握できずにこのブログでご紹介できませんでした。
明日も「ほんとの空」系のネタをご紹介します。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月10日
昭和13年(1938)の今日、詩報発行所から『新日本詩鑑 第一輯 1938』が刊行されました。
有名無名併せて250余名の詩人の作品を集めたアンソロジーです。
光太郎は「天日の下に黄をさらさう」という詩を寄稿していますが、これが全作品の最初に掲載されており、当時の光太郎の「格」が象徴されています。
3年後の太平洋戦争開戦後は、翼賛詩一辺倒になって行く光太郎ですが、この時期にもすでにその萌芽が見られます。