秋田県から企画展情報です。
まずは概要を分かりやすくするため、地元紙『秋田魁新報』さんの記事から。
文人の書簡ずらり、横手の逸話も
大正から昭和にかけ活躍した文人の書簡を集めた「横手ゆかりの文人展」が、秋田県横手市の雄物川郷土資料館で開かれている。展示しているのは、昭和中期の東京で芸術家や作家との交遊があった同市出身の画商旭谷正治郎(1899〜1975年)宛ての手紙、はがきなど約80点。横手に関わる逸話や思い出の記述が多数見られる。市教育委員会の主催で23日まで。
市教委は今年7月、旭谷の七男文和さん(70)=茨城県土浦市=から依頼されて手紙、はがきなど約3千点を保管。今回展示しているのはその一部で、彫刻家高村光太郎や作家武者小路実篤ら22人が旭谷に宛てたもの。
旭谷の案内で横手を訪れた一人、版画家棟方志功のはがきは、勢いのある大きな字で「横手町は未知の所でミリョク大有りです」と記す。別のはがきでは「かやき、キリタンポの力でわめき抜くつもりです」と創作意欲を伝えている。
高村は戦後間もなく横手を訪れ、地元の麹(こうじ)屋に立ち寄った。その後、横手から小包で麹が届けられたことを喜び、「早速甘酒を仕込みました」と、旭谷にはがきで報告している。
武者小路は、戦時中に探していた疎開先について「秋田がいいと思う。意見を聞かせてほしい」との手紙を寄せた後、現在の湯沢市秋ノ宮の温泉に疎開した。
市教委は今年7月、旭谷の七男文和さん(70)=茨城県土浦市=から依頼されて手紙、はがきなど約3千点を保管。今回展示しているのはその一部で、彫刻家高村光太郎や作家武者小路実篤ら22人が旭谷に宛てたもの。
旭谷の案内で横手を訪れた一人、版画家棟方志功のはがきは、勢いのある大きな字で「横手町は未知の所でミリョク大有りです」と記す。別のはがきでは「かやき、キリタンポの力でわめき抜くつもりです」と創作意欲を伝えている。
高村は戦後間もなく横手を訪れ、地元の麹(こうじ)屋に立ち寄った。その後、横手から小包で麹が届けられたことを喜び、「早速甘酒を仕込みました」と、旭谷にはがきで報告している。
武者小路は、戦時中に探していた疎開先について「秋田がいいと思う。意見を聞かせてほしい」との手紙を寄せた後、現在の湯沢市秋ノ宮の温泉に疎開した。
というわけで、秋田県横手市の雄物川郷土資料館さんでの企画展です。
第3回特別展「横手ゆかりの文人展 大正・昭和初期編」 ~あの人はこんな字を書いていました~
会 期 : 平成27年10月24日(土)~12月23日(水・祝)
前期10/24~ 後期11/28~ 展示替えあり
前期10/24~ 後期11/28~ 展示替えあり
会 場 : 雄物川郷土資料館 秋田県横手市雄物川町沼館字高畑366
開館時間 : 午前9:00~午後5:00(入館 4:30まで)
入 館 料 : 一般100円(80円) 高校大学生50円(40円) 中学生以下無料
※()内は団体料金(15名以上)
休 館 日 : 月曜日(祝日と重なる場合はその翌日)及び祝日の翌日
入 館 料 : 一般100円(80円) 高校大学生50円(40円) 中学生以下無料
※()内は団体料金(15名以上)
休 館 日 : 月曜日(祝日と重なる場合はその翌日)及び祝日の翌日
雄物川郷土資料館では、「横手ゆかりの文人展」と題し、大正から昭和初期にかけて活躍した作家、画家、文化人たちの直筆原稿、手紙や葉書などを展示いたします。
東京で文化人と交流のあった横手市出身の画商 旭谷正治郎氏のコレクション約600件が市に寄託されたことで実現したもので、ほとんどが初公開の貴重なものばかりです。横手とゆかりのある文人たち約30名には、日本の近代を担った著名人が多くみられます。歴史の1ページを飾った先人の文字には、その人柄や息づかいまで感じることができます。
東京で文化人と交流のあった横手市出身の画商 旭谷正治郎氏のコレクション約600件が市に寄託されたことで実現したもので、ほとんどが初公開の貴重なものばかりです。横手とゆかりのある文人たち約30名には、日本の近代を担った著名人が多くみられます。歴史の1ページを飾った先人の文字には、その人柄や息づかいまで感じることができます。
公式サイトにあるように、旭谷正治郎は、横手出身の画商です。調べてみると、『高村光太郎全集』では、第十二巻、戦後の日記に名前が出ていました。
旭谷氏より麹たくさん送り来、 (昭和21年=1946 1月21日)
『秋田魁新報』さんの記事と一致します。
午前揮毫送附の為テガミ書き、 水原宏氏(雪白くつめり)、旭谷正治郎氏(うつくしきもの、最後にのこるもの美なり)、 (同2月7日)
ひる頃石井鶴三、笹村草家人、有賀剛、千葉金右衛門、旭谷正治郎の五氏来訪。炉辺に招ず。昨夜花巻クルミ旅館泊の由。鶴三氏とは四五年ぶりの面会。他の人は皆初対面。助教授笹村氏専らしやべる。 横手町の画商旭谷正治郎氏が鶴三氏を案内して十和田湖に赴き、写生に数日間滞在。(略)談話、学校の話、彫刻の話、余が東京に帰らぬ旨の話、其他いろいろ。五時過辞去。部落のはづれの馬頭観音のところまで送りて別れる。 (昭和23年=1948 6月20日)
石井鶴三、笹村草家人は彫刻家、有賀剛は笹村の友人で神田小川町の汁粉屋主人、千葉金右衛門は秋田扇田町(現・比内町扇田)の酒造家です。
旭谷にあてた光太郎の書簡は確認できておらず、真筆であれば(まず間違いないと思いますが)、新発見です。
館の方に問い合わせ中ですが、場合によっては現物を見せてもらいに行ってこようと思っています。
こんな感じで、現在も後から後から光太郎の書簡が出て来ています。毎年4月2日の連翹忌の日に、高村光太郎研究会から発行される『高村光太郎研究』という雑誌で、当方、「光太郎遺珠」という連載を持っており、1年間で見つけた『高村光太郎全集』未収録の作品を紹介しています。毎年のように10通を超える書簡が見つかっていて、来春の「光太郎遺珠」にも、花巻の写真家・内村皓一氏にあてたものや、九段下の書道用品店・玉川堂さんから出て来た書簡など、既に15通を掲載予定です。
まだまだ光太郎書簡はいろいろなところに眠っているはずです。情報をお持ちの方はこちらまでご教示いただければ幸いです。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 12月7日
昭和26年(1951)の今日、草野心平と共に花巻郊外台温泉松田屋旅館に宿泊しました。