福島ネタが続いていますので、ついでに。

富士急行さんからのプレスリリースです。

「あだたら山 奥岳の湯」12月17日(木)オープン

富士急行株式会社では、安達太良山麓(福島県二本松市)で展開する「あだたら高原リゾート」に、日帰り温泉施設「あだたら山 奥岳の湯」を平成27年12月17日(木)オープン致します。

標高約950mに位置する「あだたら山 奥岳の湯」は、内湯の窓を全面開放することで“半露天”としてお楽しみ頂けるうえ、露天風呂の正面にはフェンスがなく、春の新緑や秋の紅葉が絶景の山並みと、高村光太郎が『智恵子抄』の中で「ほんとの空」と詠ったことで知られる「ほんとの空」を全身で楽しんで頂くことができます。

また、内湯は「源泉かけ流し」で、泉質は全国的にも珍しいph2.5の酸性泉で、筋肉痛や神経痛、疲労回復、また皮膚病への効能や美肌効果もあると言われております。

日本百名山である「安達太良山」は、春から秋にかけては大自然を楽しむ登山やハイキング、また、冬はスキー場として、年間を通じて多くのお客様がお越しになりますが、当施設の開業により、アウトドアアクティビティ後の“癒し”要素も備えた高原リゾートエリアとして、ますます魅力が高まります。「あだたら山 奥岳の湯」の開業にどうぞご期待下さい。


【NEWS】あだたら高原スキー場 今シーズンは12/12(土)オープン
あだたら高原スキー場(福島県二本松市)は、今シーズンの営業を平成27年12月12日(土)
より開始いたします。最大傾斜28度の緩急ある「ベガコース」や、スキー競技大会で使用される「アンドロメダコース」をはじめ、バリエーション豊かな7種類のコースがあり、ファミリーから上級者まで楽しむことができます。また、ゲレンデには、広々とした雪あそび広場や、そり遊びやチュービングが楽しめるキッズパークがあり、小さなお子さまも安心して遊ぶことができます。
山々を見渡すロケーションと樹林に囲まれたゲレンデ、初心者から上級者までご満足いただける豊富なコースに良質のパウダースノー、ここに新たに「あだたら山 奥岳の湯」が加わり、より魅力がアップするあだたら高原スキー場をお楽しみ下さい。


「あだたら山 
奥岳の湯」施設概要
 ■名   称 あだたら山 
奥岳の湯
 ■所 在 地 福島県二本松市奥岳温泉
  (あだたら高原スキー場隣接・安達太良山奥岳登山道入口)
 ■開 業 日 平成27年12月17日(木)
 ■営 業 日 年中無休 ※メンテナンスにより休業する場合あり
 ■営業時間 10:00~17:00
 ■延床面積  216.9m2
 ■構  造  木造平屋建て
 ■施設内容  収容可能人数80人(男女各40人)
        浴場(男女各) 内湯(9m2 )、露天風呂(20m2 )、カラン8ケ所
 ■利用料金(消費税含む) 大人(中学生以上)   600円
              こども(4才~小学生) 400円
 ■p H 値 2.5(強酸性)
 ■泉  質 単純酸性温泉
 ■適 応 症 神経痛・筋肉痛・関節痛・運動麻痺・慢性消化器病・冷え性・疲労回復
       健康増進・慢性皮膚病
 ■アクセス
   お 車:東京から東北自動車道二本松IC(約150分)、
        国道459号岳温泉経由・県道386号(約20分)
   電 車:東京駅→郡山駅(東北新幹線約90分) 郡山駅→二本松駅(東北本線約25分)
        二本松駅→岳温泉(福島交通バス約25分)、岳温泉からタクシー約10分
■お問い合わせ
  富士急安達太良観光株式会社 あだたら高原リゾート
  TEL:0243-24-2141  
http://www.adatara-resort.com/

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智恵子の故郷・二本松にそびえる安達太良山。その中腹にあるのが岳温泉です。その歴史は古く、平安時代には既に知られていたとのこと。その後、度重なる天災や戊辰戦争などにより、興亡をくりかえして現在に至っています。熱めの酸性泉で、当方の感覚では、「気合いの入った泉質」の温泉で、大好きです。

今回オープンする「あだたら山 奥岳の湯」さんは、温泉街よりさらに山頂に近い「あだたら高原スキー場」さんに隣接し、温泉街よりさらに源泉に近い場所となります。

同スキー場には、バブル景気の頃はよく行っていました。あの頃は猫もシャクシもスキーでしたね。最近はもっぱら一人旅ですので、スキーはもういいかな、と思いますが、この湯にはぜひ浸(つ)かりたいものです。

皆様もぜひどうぞ。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月29日

昭和22年(1947)の今日、花巻郊外太田村の山小屋に、深沢竜一氏が訪ねてきました。

氏はその後、上京されて彫刻家になりましたが、この頃はご両親の深沢省三・紅子夫妻と共に岩手雫石で開拓をなさっていました。

遡って、昭和18年(1943)、東京美術学校在学中だった氏は学徒動員の対象となり、先輩達三人と共に、駒込林町の光太郎のアトリエを訪ねました。光太郎はすぐさま「四人の学生」という詩にその時の模様を書き記しています。

特攻隊に配属されながら、間一髪、無事に終戦を終えた氏が、四年ぶりに光太郎との再会というわけでした。

縁ありまして、今年の3月に、女優の渡辺えりさんともども、練馬の氏のご自宅にお邪魔しまして、光太郎の思い出を聴かせていただく機会に恵まれました。

その時のレポートにも書きましたが、昭和25年(1950)1月、光太郎が雫石のご自宅にやってきた際に書いてくれたという書です。

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ご存じ宮澤賢治「雨ニモマケズ」の一節です。