今月14日に封切られ、光太郎にも触れられる小栗康平監督作品「FOUJITA」。新聞各紙のレビューをご紹介します。
映画「FOUJITA」 描き続けた「物語を超える絵」
『産経新聞』2015年11月20日
仏で活躍後、第二次大戦中に戦争協力画を描いたとして非難され、日本を捨てた画家、藤田嗣治(つぐはる)。公開中の「FOUJITA」は、「泥の河」(昭和56年)などで知られる小栗康平監督(70)が、その複雑な人物像に迫った作品だ。浮かび上がってきたのは、時代を超え、絵だけに生きようとした男の姿だった。(岡本耕治)
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「高村光太郎は戦後、戦争協力の詩を書いたことを反省して田舎に引っ込んだが、それが普通の日本人のメンタリティー。しかし、藤田は批判にびくともせず、反省もしなかった。その強さに興味を持った」と小栗監督は話す。
「FOUJITA」の前半では、1920年代のパリを舞台に、乳白色の裸婦像で注目を浴び、時代の寵児(ちょうじ)となった藤田(オダギリジョー)が仲間とバカ騒ぎに興じる姿が描かれる。後半は、40年代の日本が舞台。藤田は戦意高揚のための展覧会で、展示された自作「アッツ島玉砕」の前に賽銭(さいせん)箱を置き、人々が金を投げ入れるたびに頭を下げることまでしてみせる。
「人としてどうなのか、という批判はあるだろう。でも、仏で第一次大戦後の狂乱の時代を体験した藤田は軍部に協力しながら、実は何も信じていなかったのではないか。是非は別にして、彼は絵を描くこと、絵の世界で1番になることしか考えていなかったし、そうやって仏でも日本でも成功を収めたんでしょう」
展覧会で、戦争未亡人らしき女性が作品の前で泣き崩れるのを見た藤田が、「絵が人の心を動かすものだ、ということを私は初めて目の当たりにしました。今日は忘れがたい日になりました」と語るシーンがある。オダギリは抑えた演技で、戦争画というジャンルに強い確信を抱いた藤田を表現。小栗監督は「(オダギリは)不思議な俳優。意見もあまり言わず、こっちの話を聞いているのか、いないのか分からない感じなのに、芝居をやらせるとすごく良い」と笑い、その演技力を絶賛する。
「絵は絵空事なのだから、物語があった方が良い」「良い絵はいつしか物語を超えて生き延びます」という藤田のせりふに、その思いが浮かび上がる。しかし、絵のみを見続けた藤田に対し、戦後の日本は激しい非難を浴びせ、藤田は日本を去ってしまう。
映画であれ、絵画であれ、純粋に作品だけを見ることはとても難しい。
「『アッツ島玉砕』は、当時と今、さらに2030年に見るのでは意味合いが違ってみえる。作品は“その時々の物語”を持っていて、その物語に私たちはいつもだまされてしまう」と小栗監督。「私も、物語を超える映画を作っていきたいですね」と語った。
「FOUJITA」 小栗康平監督
『読売新聞』2015年11月14日
画家、藤田嗣治を主人公にした「FOUJITA」(フジタ)が14日から公開される。「泥の河」「死の棘とげ」などで知られる小栗康平監督による10年ぶりの新作だ。
小栗監督の映画としては2005年の「埋もれ木」以来となる本作は、日仏合作。フランス側のプロデューサーを務めたのは、「アメリ」などで著名なクローディー・オサールだ。
小栗監督は「資金的なことも当然あるが、フジタについては、内容的にも一緒に作らないと成り立たないものでした」と語る。
1886年、明治の日本に生まれた藤田は1913年に渡仏し、20年代のパリを代表する画家の一人として活躍。40年に帰国してからは、数多くの戦争画を手がけ、そのことで戦後、批判を受けた。その後、日本を離れ、フランス国籍を取得。カトリックの洗礼を受けてレオナール・フジタとなる。68年に死去し、自らフレスコ画などを手がけた、ランスの礼拝堂に眠る。
映画「FOUJITA」が描くのは、二つの時代、二つの文化の中の藤田。映画の前半は20年代のパリ、後半は40年代の日本での姿を見せる。
「伝記ではなく、20年代のパリと、40年代の戦時の日本を並置して、映画という同一の時空間にとどめることで、何をそこから感じ取るか。それをどう自分のものにするか、という作品だと思うんです」
そして、それは、「近代とは何か」という問いかけにもつながっていく。
「いろいろな問いかけが、フジタからひもとくことができるはずです」
国民国家の成り立ちも、個人のあり方も、まったく違う、二つの社会を生きた藤田。パリでは日本的な線描の裸婦像で成功し、日本ではヨーロッパの歴史画を思わせる戦争画を描いた。小栗監督は、そんな藤田を「文化の衝突」の中で生きた人間と見る。
「時代の中で闘っていますよね。そして、その闘いは今の僕らとも無縁ではない。闘っている人間だからこそ持つ悲しみのようなものがあるはずです。深く一つのことをなして生きたフジタという男だからこそ、初めて表れる悲しみや感情の起伏が映ればいい、と思っていました」
藤田はどんな場所に、どんなたたずまいで存在していたのか。この映画はロングショットでじっくりと映し出す。
「映画は言葉を撮るわけじゃない。事物の存在の『相』というようなものを撮るわけで、ローカリティー(場所や土地)と結びつかない限り深まっていかない。それは、ものがどこにあるのかとか、場をとらえることとも関連してくると思います」
「近代の華」として世界に広がった映画のあり方に対する問いかけも、この作品は内包している。(恩田泰子)
静けさから迫る実像 藤田嗣治描く「FOUJITA」14日公開
『東京新聞』2015年11月12日 朝刊
「泥の河」などで知られる小栗康平監督(70)の最新作「FOUJIT(フジタ)A」が14日公開される。第2次大戦前のフランスと戦中の日本と二つの国で生きた画家藤田嗣治(ふじたつぐはる)(1886~1968年)を、静かで穏やかな映像美で描いた。 (砂上麻子)
FOUJITAはフランス語でフジタと読む。「埋もれ木」(二〇〇五年)以来、小栗監督が十年ぶりに選んだ映画の主人公は藤田。「特別に好きな画家ではなかった。裸婦像、戦争画、戦争協力という一般的なフジタ像しかなかった」と振り返る。
「藤田はパリの人気者、戦争協力者などあふれるほどのエピソードがあるが、エピソードを積み上げても類型的な人物像を描くだけ」と語る小栗監督がひかれたのは藤田の絵画。「絵の中の静けさから藤田を描くことができると思った」
映画は一九二〇年代のパリと四〇年代の戦時中の日本をそれぞれ一時間ずつ前半と後半の二部構成のようにつなげた。パリ時代の「乳白色の肌」で知られる裸婦像と、「アッツ島玉砕」(四三年)など暗く重厚な戦争画とその作風からも分かるように、藤田の暮らしぶりも、ばか騒ぎを繰り広げるパリと田舎へ疎開した日本とでは対照的。「変節の人だと言われるが、異文化の中で一人の人間がねじれながらも生き抜く姿を自分なりに描いた」
過激な表現があふれる昨今の映画を「動」とするならFOUJITAは「静」。絵画のように観客は見て感じるしかない。「絵画も映画も画像の中で事物がどう置かれるかという点で出発は同じ。映画はトーキーになり言葉が形作る物語を追い掛けるようになり最初にあった感動を失ってきた。映画の原点に戻った。絵画へのオマージュだ」と話す。
主人公藤田にオダギリジョーを選んだのは小栗監督。「猫のようになよっとした身体感覚が藤田と似ている」。劇中のオダギリジョーはおかっぱ頭に丸めがね、耳にはピアスと外見は往年のフジタにそっくり。「外見だけでなく存在そのもので藤田を演じていた」と評価する。
終戦の年に生まれ七十歳になった小栗監督。三十五歳の時に「泥の河」でデビューした。その後も戦争の影響を感じさせる作品を撮り続けてきた。「戦後七十年の今年、藤田に出会えたのは運命だった。藤田を通じて自分も原点に戻ったようだ」と振り返った。
長くなってしまいましたので、続きは明日。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月24日
昭和60年(1985)の今日、埼玉県東松山市中央公民館・同市立図書館で開催されていた「高村光太郎 「智恵子抄」詩句書展」が閉幕しました。
生前の光太郎と交友のあった当時の市教育長・田口弘氏所蔵の光太郎書、資料を中心にした展覧会でした。