新刊紹介です。
戯れ言の自由
2015年10月31日 思潮社刊 平田俊子著 毛利一枝装幀 定価 2,300円+税
帯文から
お湯はいつでも沸かしておこうよ、誰も帰ってこない日も――。不確かな日々が求める、こころを少し明るくするもの。日本語という小さな舟がひとの思いを運んでいく。鋭くもしなやかに、全身でともすことばの灯り、詩28篇。
故・長田弘氏の後を承け、今年から『読売新聞』さんの「こどもの詩」を担当されている平田俊子氏の詩集です。書き下ろしを含め、平成16年(2004)から今年までの詩作品28編から成ります。
光太郎に触れて下さった詩篇が二つ。
「アストラル」。商品名なのか、メーカーの名前なのか、昭和29年(1954)、草野心平が光太郎のために骨折って入手した電気冷蔵庫です。
その電気冷蔵庫をめぐり、深い絆で結ばれた光太郎、心平、宮沢賢治、そして心平の弟で、早世した草野天平(歿後、『定本草野天平詩集』により、昭和34年(1959)の第2回高村光太郎賞を受賞)をからめ、詩人達の織りなす人間模様を謳った詩です。初出は平成24年(2012)の『現代詩手帖』さん。
昭和27年(1952)、天平危篤の報に、心平はアイスクリームを魔法瓶に詰め、天平の元に向かいました。
遡って大正11年(1922)、結核に冒された賢治の妹・トシは、兄に「あめゆじとてきてけんじや(雨雪=みぞれを取ってきてください)」と言いながら、歿しました。
さらに昭和13年(1938)、智恵子は光太郎の持参したサンキストのレモンをがりりと噛んで、それなりその機関を止めました。
そして昭和29年(1954)、心平は光太郎のためにアストラルの冷蔵庫を手に入れました。
詩「アストラル」はこう結ばれます。
アストラルは心平が譲り受けた
アストラルのその後は知らない
光太郎の死後 五十余年
心平の死後 二十余年
今もどこかで冷たいものを
いっそう冷たくしているだろうか
扉を開けると
アイスクリームとレモンと
あめゆじゆが
もの言いたげに並んでいるだろうか
右上は光太郎終焉の地・中野の中西家アトリエです。おそらく右端に写っている白い箱が問題の冷蔵庫でしょう。
『戯れ言の自由』には、もう一篇、「まだか」という詩で、光太郎に触れられています。
戦後の昭和22年(1947)、花巻郊外太田村の山小屋で書かれた連作詩『暗愚小伝』の構想段階で入っていた「わが詩をよみて人死に就けり」がモチーフに使われています。清家雪子さんの漫画『月に吠えらんねえ』第二巻でも、この断片がモチーフに用いられていました。
その他の詩篇も、ユーモアとヒューマニティーにあふれ、特に言葉に対するユニークな見方や表現は、やはり『読売新聞』さんの「子供の詩」担当だった故・川崎洋の詩を彷彿とさせられました。
もう一冊。先日、第60回高村光太郎研究会に参加した折、発表者の佛教大学総合研究所特別研究員・田所弘基氏からいただきました。
佛教大学大学院紀要文学研究科篇 第43号 抜刷 高村光太郎の短歌と美術評論――留学直後の作品を中心に――
2,015年3月1日 佛教大学大学院文学研究科篇 田所弘基著
当方も、思うところあって、現在確認されている光太郎の短歌すべて(約800首)を細かく読み返しているところでして、この論文も興味深く拝読しました。
大学のエラいセンセイの論文には、枝葉末節にこだわるあまり「木を見て森を見ず」の状態に陥っているものや、いかにも紀要等にノルマとして書かなければならないから書いただけと思われる内容の薄っぺらなものや、動かしようのない史実を含めた根本的な所で大きな誤解をしているもの、牽強付会にすぎるもの、引用のみでありながらさも自分の考えのように装っているものなど、実りのあるものがあまり見受けられません。特に、文学系は、自分もそういう指導を受けてきましたが、「批判的に読む」という流れがあり、対象の人物を上から目線で捉え、けちょんけちょん(死語?)……「では、あなたの人間性はどうなの?」というものにも出くわします。
この論文はそういう所もなく、素直に書かれたいい論文です(という評をする当方も上から目線のようですが)。
入手には、こちらまでご連絡いただければ仲介いたします。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月23日
昭和16年(1941)の今日、『朝日新聞』に「新穀感謝の芸能祭」という記事が載りました。
曰く、
新嘗祭をまへに日本文化中央聯盟では二十二日午後一時から九段の軍人会館で新穀感謝祭奉献芸能の会を開いた
新嘗祭をまへに日本文化中央聯盟では二十二日午後一時から九段の軍人会館で新穀感謝祭奉献芸能の会を開いた
新穀感謝の厳かな祭式ののち小山松吉理事長の挨拶があり、儀式唱歌『新嘗祭』や『新穀感謝のうた』がバリトン伍長伊藤武雄氏、二葉あき子さんはじめコロムビア女声合唱団によつて唱はれたがさらに舞踊、箏曲、講演などで豊穣の譜を讃へ最後に農村女子青少年団用につくられた素人劇『いろはにほへと』映画『土に生きる』が上映され同四時半終つた
『新穀感謝のうた』は光太郎作詩、信時潔作曲の歌曲です。この年に製作されました。
あらたふと
あきのみのりの田面(たのも)には
穂波たわわにしづもりて
神のたまひし稲種(たなしね)は
いま民の手に糧となる
あきのみのりの田面(たのも)には
穂波たわわにしづもりて
神のたまひし稲種(たなしね)は
いま民の手に糧となる
あらたふと
あきのとりいれ倉にみち
君にささぐる國民(くにたみ)の
いきのいのちのはつらつと
いやきほひ立つ時は来ぬ
あきのとりいれ倉にみち
君にささぐる國民(くにたみ)の
いきのいのちのはつらつと
いやきほひ立つ時は来ぬ
その後、題名が二転三転し、最終的には「新穀感謝の歌」で落ちつきました。
今日は勤労感謝の日ですが、この日はもともと、宮中で行われていた、五穀の収穫を神に感謝する新嘗祭(にいなめさい)を起源としています。