昨日は文京区大塚にて、「第60回高村光太郎研究会」に参加して参りました。
そちらが午後2時からということで、その前に国立国会図書館に寄りました。来月、智恵子の故郷・二本松で開催される「智恵子のまち夢くらぶ」さん主催の「智恵子講座’15」第3回で講師を仰せつかっており、その調査のためでした。
国会議事堂周辺、色づいた公孫樹がいい感じでした。
智恵子の母校・日本女子大学校(現・日本女子大学)、その同窓会である桜楓会、同校卒の平塚らいてうらによる『青鞜』などにつき、目星をつけていた資料を漁って参りました。
そのうちの一つ、『青鞜』の明治45年(1912)2月発行、第2巻第2号。智恵子が表紙絵を描いています。
こちらには、前月に大森の富士川という料亭で開催された青鞜社の新年会の様子がレポートされています。智恵子もこの会には参加しています。
中央が智恵子、右から二人目が平塚らいてうです。
その記事自体は、昭和52年(1977)に文治堂書店さんから刊行された『高村光太郎資料』第六集に転載されており、以前に読んだことがありました。さらに、新年会当日の寄せ書きも掲載されていることを知り、こちらは不鮮明な画像でしか見たことがなかったので、改めて見てみました。
この中に、智恵子の筆跡も含まれていると思われ、見つけようと思いました。『青鞜』の記事と照らし合わせると、中央に「強きものよ汝の名は女なり」と書いているのが武市綾。しかし、それ以外がわかりません。やはり記事と照らし合わせると、らいてうが「酒めし」と書いているはずなのですが、それもどこに書いてあるか不明ですし、それ以外の部分、やはりよくわかりませんでした。今後の課題とします。
それから、先だっていただいた智恵子の里レモン会さんの会報に、中村屋サロンを形作った若き芸術家の一人で、彫刻家の鶴田吾郎が語った同じく彫刻家の中原悌二郎に関する談話の中に、智恵子が登場するという記事が載っていました。出典が碌山美術館さん刊行の『中原悌二郎集』(昭和63年=1988)だそうで、その記事も調べて参りました。
中原は、明治三十九年の正月に友人と二人で北海道から上京して四谷の寺に住い金に困るものだから墓場の卒塔婆を抜いて来ては燃して自炊生活をしていました。(略)そして、中原と中村(彝)と私が太平洋(画会)へ移ったのですが、(略)当時居たのは、渡辺与平、それから水母(くらげ)と仇名された長沼智恵子、埴原桑代、坂本繁二郎などが居ました。
若き日の智恵子のあだ名が「クラゲ」。平塚らいてうは、智恵子を「骨なしの人形のようなおとなしい、しずかなひと」と評していたので、そのあたりからの連想なのかな、と思っていたのですが、先の『青鞜』の新年会の記事を改めて読み直してみると、そこにも「くらげ」が記されていました。
荒木氏のコートを襠のやうに引つかけた海月のやうな長沼氏の姿が目に浮んだ。
「海月」が「くらげ」、荒木氏は『青鞜』メンバー荒木郁、「襠」は「まち」と読みます。小柄な智恵子がコートを羽織る姿がクラゲのようだという連想ですね。
そういえば、太平洋画会研究所に通っていた頃も、
コバルト色の長いマントの衿を立てたなり羽被つて、白い顔をのぞかせ、顔の上には英国風に結つた前こごみの束髪が額七部をかくし、やつと目を見せていた。
(小島善太郎「智恵子二十七、八歳の像」昭和33年=1958 『高村光太郎全集月報11』)
という姿が記憶されています。おそらく、こうしたコートやマントといった套衣を羽織った姿が、「クラゲ」につながったのではないのでしょうか。
国会図書館ではその他、日本女子大学校関連についていろいろと調べました。
その後、護国寺駅近くのアカデミー音羽へ。第60回高村光太郎研究会に参加いたしました。
発表は佛教大学総合研究所特別研究員・田所弘基氏の「高村光太郎の戦争詩――『詩歌翼賛』を中心に――」 、『雨男高村光太郎』というご著書のある西浦基氏で「「画家アンリ・マティス」高村光太郎訳」。
お二人の熱のこもったご発表と、当会顧問・北川太一先生の的確なコメントとで、有意義なものとなりました。北川先生は、高村光太郎研究会の顧問もなさっています。
北川先生には、先ほどの寄せ書きのコピーをお渡しし、解読を依頼して参りました。詳しく解りましたら、またレポートいたします。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月22日
平成5年(1993)の今日、文学座の舞台「愛しすぎる人たちよ 智恵子と光太郎と」の名古屋公演が開催されました。
作・鈴木正光氏、演出・加藤信吉氏、光太郎役が石田圭祐さん、智恵子役は平淑恵さんでした。
渡辺えりさん率いる劇団3○○(さんじゅうまる)の舞台「月にぬれた手」で、光太郎役をなさった金内喜久夫さん、光太郎の母・わかなどの役だった神保共子さんもご出演なさっていました。
この月11日から20日までが東京公演、さらにこの後、尼崎、貝塚、赤穂、門真、豊中と巡回公演されました。