昨日は、千葉市の京成ローザさんに行き、昨日封切りの映画「FOUJITA」を観て参りました。

ストーリー等の説明のために、一昨日の『朝日新聞』さんに載った小栗康平監督のインタビュー記事を引用させていただきます。

分裂とゆがみ、他人事でない 藤田嗣治描いた「FOUJITA」 小栗康平監督

 「泥の河」「死の棘」の小栗康平監督10年ぶりの新作「FOUJITA」が、14日から公開される。主人公は画家藤田嗣治(1886~1968)。1920年代の狂乱のパリと第2次大戦下の日本、二つの時代を生きたフジタの「分裂とゆがみ」を、透徹したまなざしでとらえる。
 乳白色の裸婦像でパリ画壇の寵児(ちょうじ)となったフジタ(オダギリジョー)は、カフェでのバカ騒ぎやけばけばしい仮面舞踏会に興じる。時代は飛び1940年代の日本、凄絶(せいぜつ)な「アッツ島玉砕」などの戦争画で美術界の重鎮となったフジタは、迫り来る敗戦の予感の中、疎開先の農村の暗い風景を見つめる。
 「パリでは日本画の手法を油絵のど真ん中に押し込み、日本ではドラクロワのような西洋画の伝統技法で戦争を描く。そのねじれに興味を抱いた」と小栗。
 戦争協力者との批判を浴び、日本を捨てフランスに戻った戦後は、映画では描かなかった。
 「伝記映画の構造は持っていないし、人物像を提示することに興味はなかった。高村光太郎のように戦争協力を反省し蟄居(ちっきょ)する、という方が日本人的でヒューマニスティックでしょう。でもフジタは明らかに近代主義者だった。パリでエトランゼ(異邦人)の中に飛び込み、闘ってつかみ取った自我があったんだと思う」
 仮面舞踏会の悪ふざけの後、ベッドで女に「バカをすればするほど自分に近づく。絵がきれいになる」。「アッツ島玉砕」に手を合わせる人々に敬礼し、「絵が人の心を動かすものだということを初めて目の当たりにした」。取り澄ました物言いは、真意なのか、とぼけているのか。フジタは、芸術至上主義者ともくくれず、自己顕示欲の塊とも言い切れない。
 「彼の分裂とゆがみは、100年経った今の私たちにとってもひとごとではない。深く引き裂かれた人物として、ある悲しみをもってフジタを見つめることで、日本がどう近代を受容したのか、そしていまフジタと比べ成熟したのか、それを問いたかった」
 銀色に輝く水田など幽玄的な風景をとらえた映像は、デジタル撮影の威力が発揮されている。
 「前作『埋もれ木』からデジタルにしたが、10年経って別物に進化していた。見たこともない絵をつくるだけでなく、最もとらえにくい自然に対しても、とても有効だ」(小原篤)


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監督自身が「伝記映画の構造は持っていない」というように、非常に感覚的な映画でした。いわゆる「説明調」のセリフはほとんどなく、藤田の行動を淡々と追うというスタイルです。それでいて、その一つ一つが人間・藤田を存分に描ききっていました。オダギリジョーさんの演技もはまっていました。

前半は1920年代のパリ。「五人の裸婦」に代表される独自のスタイルの絵を追求し、同時にセルフプロモーションにも入念な藤田が描かれます。

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カフェのテラスで、青木崇高さん演じる日本からやってきた画学生が、藤田を前に光太郎の「雨にうたるるカテドラル」を朗読するシーンがあります。

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一瞬映し出される藤田の心象風景。ここに佇む男は光太郎なのでしょうか、それとも藤田自身なのでしょうか。

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しかし藤田は、画学生の朗読も半ばを過ぎたあたりで、少し離れた席にいたパリジェンヌ2人にちょっかいを出します。

このシーンで小栗監督は、藤田が単なる西洋への憧れで滞仏しているのではないことを描こうとしたようです。対極的に、光太郎は西洋への憧れを強く表出した人物の象徴として捉えられています。光太郎の西洋観、それほど単純ではないのですが……。

ただ、確かに光太郎には、藤田のように「何故に我々の先輩がパリに渡り、本舞台で飽くまで西洋人と闘ってこなかったのであろうか」「すべてを棄てて自分だけは少なくとも本場所の土俵の上で大相撲をとろうという覚悟であった」という気持ちはありませんでした。

また、光太郎との比較は、戦後の行動にも表れていると、小栗監督は述べられています。

「高村光太郎のように戦争協力を反省し蟄居(ちっきょ)する、という方が日本人的でヒューマニスティックでしょう。でもフジタは明らかに近代主義者だった。パリでエトランゼ(異邦人)の中に飛び込み、闘ってつかみ取った自我があったんだと思う」

先日、NHK Eテレさんで放映された「ETV特集「FOUJITAと日本」」の中でも、同様の発言がありました。しかし、光太郎のように戦時協力を反省し、蟄居したのは少数派です。まあ、藤田のように日本を見限って再び海外に渡ったのは、さらに少数派ですが……。悲しいかな、大部分の芸術家は翼賛活動を「軍部の命令で仕方なくやったことだ」と開き直り、何くわぬ顔をして「民主主義」に転向していきました。

藤田と光太郎、一見、形は違いますが、その根底に流れているものは同一のような気がします。

映画の後半は、1940年代の日本。藤田の戦争協力の様子が、これも淡々と描かれています。そして戦後の藤田については語られていませんが、エンドロールの直前に、再び渡仏した藤田が、昭和41年(1966)に自身の設計でランス市に建てたノートル・ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂と、その内部のフレスコ画―磔刑に処されるイエスを見つめる群衆の中に描かれた藤田最後の自画像―を提示し、戦後の藤田を暗示していました。

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「彼の分裂とゆがみは、100年経った今の私たちにとってもひとごとではない。深く引き裂かれた人物として、ある悲しみをもってフジタを見つめることで、日本がどう近代を受容したのか、そしていまフジタと比べ成熟したのか、それを問いたかった」という、小栗監督の言葉が重くのしかかるエンディングでした。

余談になりますが、映画を観ていて驚いたことが一つ。何と、当方の住む千葉県香取市佐原地区ででロケが行われていました。それ自体は珍しいことではなく、重要伝統的建造物群保存地区に指定されているので、様々な映画やドラマなどの撮影がしょっちゅう行われているのですが(嵐の二宮和也さん主演、フジテレビさんの2016年新春スペシャルドラマ・夏目漱石原作「坊ちゃん」のロケも、つい数日前に行われていました)、この映画のロケが行われていたのはまったく知らなかったので、スクリーンに地元の町の風景が映った時には驚きました。

しかし、最近のデジタル技術の進歩は凄いものですね。香取市の風景の中でも、存在しない海が遠景に写っていたり、古い街並みのカットでは、逆にあるはずの新しい建物が写っていなかったりしていました。撮影後に修正しているのでしょうが、全く違和感がありませんでした。

デジタル技術の進歩という意味では、特に映画後半の幻想的な日本の風景を描いた部分が、非常に印象的でした。

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ぜひ、ご覧下さい。


ところで、パリといえば、昨朝から悲しいニュースが飛び込んできています。『日刊スポーツ』さんに載った、昨日の小栗監督らの舞台挨拶を報じる記事から。

「FOUJITA」初日にパリでテロ 小栗監督沈痛

 オダギリジョー(39)主演映画「FOUJITA-フジタ-」(小栗康平監督)初日舞台あいさつが14日、都内の角川シネマ有楽町で行われた。
 「FOUJITA-フジタ-」は1920年代のフランス・パリと1940年代の日本を生きたフジタを通し、時代と文化の差異を描いた。昨年9月15日に都内で撮影し、1カ月のフランスロケを経て、同12月15日にクランクアップした。初日を迎えたこの日、フランス・パリで同時多発テロが発生し、120人を超える人が亡くなった。小栗監督は舞台あいさつの冒頭に、沈痛な表情で事件について語った。
  「パリで、とても不幸なことが起きました。この映画のキャッチコピーは『パリが愛した日本人、あなたはフジタを知っていますか?』となっています。1920年代と40年代の日本とパリを、フジタを通して描いた作品です。20年代から数えますと、ほぼ100年近く時代がたっていますけれど、欧州はどういう社会なのか、あるいはアジアは欧州と違ってどうなのか…この封切りの初日に、パリのテロを受けて、あらためて私は考えました。もしかしたら、この『FOUJITA-フジタ-』で描いている世界も、14年から振り返って遠い昔のことではないんだと。今に結び付く問題が、この映画の中にもあるんだろうな、ということをあらためて今朝、しみじみと考えました」

犠牲になられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月15日

昭和12年(1937)の今日、銀座の服部時計店で、光太郎の実弟にして、後に鋳金の人間国宝となる豊周らが中心となった、実在工芸美術会同人作品展が開幕しました。