一昨日、今年度の文化勲章・文化功労者の発表が行われ、染織家の志村ふくみさんが文化勲章を受けることになりました。 

文化勲章:紬織り、現代的に表現…志村ふくみさん

2015年10月30日 『毎日新聞』

◇志村ふくみさん(91)=染織家
 「たいへん重く受け止めております」。穏やかな語り口に責任感をにじませる。
 母の手ほどきを受けてこの道に進んだのは60年前。ゲーテの「色彩論」に出合ってから哲学的な思索も深め、紬(つむぎ)織りの奥深さを現代的に表現してきた。貫いてきたのは「植物から命をいただき、色をいただく」という謙虚な姿勢だ。
 東日本大震災を経た今、その思いを次世代に伝えることに注力する。2年前に始めた芸術学校「アルスシムラ」では、自然に対する感性を養い、平和の大切さを強調する。手応えが大きいことは、多忙を極めるのに生き生きとした表情からうかがえる。「若い人から元気をいただいています。私にとっては機を織ることが休みなんです」【岸桂子】


志村さんには『白夜に紡ぐ』(平成21年=2009 人文書院)というご著書があり、その中で光太郎についてふれて下さっています。10ページあまりの「五月のウナ電」というタイトルのエッセイです。

「五月のウナ電」という奇妙なタイトルは、そのまま昭和7年(1932)の雑誌『スバル』第4巻第2号夏季号に発表された光太郎の詩のタイトルです。


   五月のウナ電

アアスキヨク」 ウナ」 マツ」
アオバ ソロツタカ」コンヤノウチニケヤキハヲダ セ」カシノキシンメノヨウイセヨ」シヒノキクリノキハナノシタクヨイカ」トチノキラフソクヲタテヨ」ミヅ キカササセ」ゼ ンマイウヅ ヲマケ」ウソヒメコトヒケ」ホホジ ロキヤウヨメ」オタマジ ヤクシハアシヲダ セ」オケラナマケルナ」ミツバ チレンゲ サウニユケ」ホクトウノカゼ アメニユダ ンスルナ」イソガ シクテユケヌ」バ ンブ ツイツセイニタテ」アヲキ トウメイタイヲイチメンニクバ レ」イソゲ イソゲ 」ニンゲ ンカイニカマフナ」ヘラクレスキヨクニテ」

当時の電報のスタイルで書かれた詩で、題名の「ウナ電」、冒頭の「ウナ」は速達電報のこと。同様に「マツ」は「別使配達」の意味だそうです。当時の技術では電文はすべてカタカナ。濁音の後には必ずスペースが入るので「ニンゲ ン」というふうになるわけです。

無理を承知で書き下してみます。


地球(アアス)局」ウナ」マツ」
青葉、揃つたか。 今夜のうちに欅(けやき)、葉を出せ。 樫の木、新芽の用意せよ。椎の木、栗の木、花の支度よいか。 栃の木、蝋燭を立てよ。 ミズキ、傘させ。 ゼンマイ、渦を巻け。 うそ姫、琴弾け。 頬白、経読め。 おたまじくしは足を出せ。 おけら、怠けるな。 蜜蜂、レンゲ草に行け。 北東の風、雨に油断するな。 忙しくてゆけぬ。 万物、一斉に立て。 アヲキ、透明体を一面に配れ。 急げ、急げ。人間界に構ふな。 ヘラクレス局にて

「ヘラクレス」はギリシャ神話のヘラクレス神というより、星座としてのヘラクレス座でしょう。宇宙の彼方から、地球の木々や鳥、虫たちに届けられた電報、というわけです。


自然界のさまざまな素材から「色」を紡ぎ出す志村さん。光太郎詩「五月のウナ電」に謳われた草木や小動物への語りかけにいたく共鳴したのでしょう。染織した布を使って、ブックデザイン――というより、美術工芸品としての書籍製作――も手がける志村さん、この詩に啓発され、シンジュサン工房の山室眞二氏と組んで、平成16年(2004)には、『配達された五月のウナ電』という書籍も作られています。『白夜に紡ぐ』所収の「五月のウナ電」には、そのあたりの経緯も記されています。

また、この詩が書かれた昭和7年(1932)の時点での光太郎智恵子(前年から智恵子の心の病が顕在化)、さらに二人を取り巻く社会状況(軍部の台頭)などについても。

志村さん曰く「この詩の背景にはこれほどの時代と人間の相克があり、高村光太郎という詩人の魂にふれてしびれるように感動した。」。

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『配達された五月のウナ電』は65部限定。山室氏と交流のあった、当会顧問・北川太一先生がお二人に「五月のウナ電」のレクチャーをなさったことから解説を執筆されています。当方、北川先生から、カラーコピーで複製されたものを戴きました(右上画像)。表紙に使われているのは、志村さんの手になる裂(はぎれ)です。先の「しびれるように感動した」云々は、ここに収められた北川先生の解説を読まれてのことです。


さて、志村さん。おん年91歳です。この受賞を機に、これからもまだまだお元気でご活躍戴きたいものです。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 11月1日

大正元年(1912)の今日、智恵子が扉絵を描いた雑誌『劇と詩』第26号が発行されました。

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光太郎の絵画「食卓の一部」も掲載され、数少ない光太郎智恵子両名の作品が同時に載ったケースです。