テレビ放映情報です。 

趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門 第5回「智恵子、愛と死 自省の「道程」 高村光太郎×智恵子

本放送 NHKEテレ 2015年11月3日(火)   21時30分~21時55分
再放送 NHK総合  2015年11月5日(木)   10時15分~10時40分
    NHKEテレ 2015年11月10日(火)   11時30分~11時55分

書から歴史上の人物像に迫る臨書入門。今回は詩集「智恵子抄」でも知られる彫刻家・高村光太郎。妻・智恵子の死、戦争とどう向き合ったのか?不思議な書が示すこととは?

明治から昭和にかけて彫刻、詩など数々の作品を発表した高村光太郎は、書でも唯一無二の存在。愛妻・智恵子の死、そして戦争賛美の詩を書いた自分を責め、終戦直後の7年間、岩手・花巻の山荘にこもり自己と向き合った光太郎。その時書いたのは、不思議な筆致の文字だった。この書が意味することとは何か?花巻の高村山荘を訪ね、直筆の書に出会い探る。また光太郎がリンゴ農家へ送った書「甘酸是人生」の「人生」を臨書する。

出演 石川九楊 羽田美智子

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今月から始まった「趣味どきっ!女と男の素顔の書 石川九楊の臨書入門」。書家の石川九楊氏と、女優の羽田美智子さんをナビゲーターに、歴史上の男女を1組ないし2組ずつ取り上げて、その書の魅力に迫る番組です。

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各回で、石川氏のご指導のもと、羽田さんがそれぞれの人物の書を臨書します。今回は、光太郎の書から「人生」の二文字。

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上記は現在、新刊書店で並んでいる同番組のテキストから。NHK出版さんのサイトからも購入できます。

テキスト、さらには番組内でも光太郎智恵子の人生について、レクチャーがあります。制作に協力させていただき、当方の提供した画像が画面を飾るはずです。お楽しみに。

この番組の第2回放送が「愛と情熱の歌人 夫のための百首 与謝野晶子×与謝野鉄幹」で、与謝野夫妻研究の第一人者・逸見久美様がご出演。逸見様も連翹忌のご常連のお一人で、当方を紹介していただきました。ありがたいかぎりです。

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鉄幹晶子の回は、駒場の日本近代文学館さんでロケが行われ、非常に丁寧な作りになっており、興味深く拝見しました。光太郎の回は、今年リニューアルオープンとなった花巻の高村光太郎記念館、隣接する光太郎が戦後の7年間を暮らした高村山荘での収録。臨書される「甘酸是人生」の書も、同館に収蔵されているものです。

ご期待下さい!


ついでにもう1件。   

歴史秘話ヒストリア第207回 ふたりの時よ 永遠に 愛の詩集「智恵子抄」

NHK総合 2015年11月3日(火)  27時08分~27時51分 =4日(水)午前3時08分~3時51分

彫刻家・高村光太郎と画家を目指す妻・智恵子。二人は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた…。命をかけて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは?詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の伝説をお届けする。

今からおよそ100年前の1914年(大正3年)12月、彫刻家、詩人の高村光太郎と、画家の卵である長沼智恵子が、実験的な同居生活をスタートさせた。婚姻届を出さず、夫婦別姓。家事を分担し、対等な人間同士として、それぞれの創作に打ち込んだ。絶えざる戦争のわずかな合間、自由な文化が花開いた大正という時代を追い風にした「愛の試み」だった。光太郎と智恵子は貧しさにも負けず、芸術への夢を追い求めるが、その行く手には、あまりにも悲しく切ない運命が待っていた。命を懸けて貫き通した二人の愛が生み出した奇跡とは何か。バレンタインデーを前に、詩集「智恵子抄」で知られる、日本史上類を見ない究極の愛の物語を紹介する。

出演 前田亜季 鈴木一真
キャスター 渡邊あゆみ

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今年2月に放映されたものの再放送です。7月に放映された「第223回 漱石先生と妻と猫~“吾輩は猫である”誕生秘話~」と2本セットで放映するとのこと。2月の放送を見逃した方、ぜひどうぞ。ただし、深夜、というか未明です。


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月28日000

昭和27年(1952)の今日、終焉の地となった中野のアトリエで、雑誌『アトリヱ』のため、編集者の国安芳雄と対談を行いました。

対談は12月の同誌313号に掲載されました。次の前書きが付されていました。

 青森県の要請に依りその湖畔に等身の裸女を制作するため、七年ぶりで上京された高村光太郎氏を訪ねる。幸い旧知の本誌、国安(旧姓住友)との間に話題は間断なく流れ、七〇有余歳、尚青年の如き高村氏の情熱にききほれる。生涯をこめての、きびしい歩みの果に、この純白のアトリエに籠り、彫刻の意味を究明しようという翁の健康に幸あれと祈る。

光太郎は戦前の昭和3年(1928)には、当時住友姓だった国安の肖像彫刻を制作しました。「S君の像」、「住友君の首」といった題をつけられたこの彫刻、おそらく昭和20年(1945)の空襲で焼失、現存が確認できていません。