京都から学会の情報です。
期 日 : 2015年10月9日(金)受付11時30分より
場 所 : 京都外国語大学 国際交流会館会議室(9号館4階)京都市右京区西院笠目町6
場 所 : 京都外国語大学 国際交流会館会議室(9号館4階)京都市右京区西院笠目町6
総合司会 村上裕美氏(関西外国語大学短期大学部)
研究発表第一部(12時00分~13時20分)
司会 佐久間みかよ 氏(和洋女子大学)
瀧口美佳氏(立正大学)「超絶主義者たちと北欧神話」
貞廣真紀氏(明治学院大学)「ソローの味覚」
司会 佐久間みかよ 氏(和洋女子大学)
瀧口美佳氏(立正大学)「超絶主義者たちと北欧神話」
貞廣真紀氏(明治学院大学)「ソローの味覚」
研究発表第二部(13時30分~14時50分)
司会 高梨良夫 氏(長野県短期大学)
松島欣哉氏(香川大学)
「Orestes A. Brownsonのエマソン批評――“Literary Ethics”を中心に」
藤田佳子氏(奈良女子大学)「<心>の探索――中・後期のエマソン」
司会 高梨良夫 氏(長野県短期大学)
松島欣哉氏(香川大学)
「Orestes A. Brownsonのエマソン批評――“Literary Ethics”を中心に」
藤田佳子氏(奈良女子大学)「<心>の探索――中・後期のエマソン」
日本ソロー学会創立50周年記念大会シンポジウム(15時~17時30分)
司会 伊藤詔子氏(広島大学)
テーマ:ソロー学会50周年記念シンポジアム――回顧と展望
パネリスト:
小野和人氏(九州大学):「学会50年(その概括ないし瞥見)」
山本晶氏(慶応大学):
「ヘンリー・ソロー、宮澤賢治その他の〈孤独〉と〈食物〉――東洋思想、政治思想、食習慣との関連において考える」
齊藤昇氏(立正大学):「ソロー・野澤一・高村光太郎」
上岡克己氏(高知大学):「大学におけるソロー教育の意義」
伊藤詔子氏(広島大学):「核時代の“Civil Disobedience”」
司会 伊藤詔子氏(広島大学)
テーマ:ソロー学会50周年記念シンポジアム――回顧と展望
パネリスト:
小野和人氏(九州大学):「学会50年(その概括ないし瞥見)」
山本晶氏(慶応大学):
「ヘンリー・ソロー、宮澤賢治その他の〈孤独〉と〈食物〉――東洋思想、政治思想、食習慣との関連において考える」
齊藤昇氏(立正大学):「ソロー・野澤一・高村光太郎」
上岡克己氏(高知大学):「大学におけるソロー教育の意義」
伊藤詔子氏(広島大学):「核時代の“Civil Disobedience”」
総会(17時35分~18時00分)
懇親会(18時00分~20時00分)
司会 元山千歳氏(京都外国語大学)
京都外国語大学ユニバーシティギャラリー 9号館6階(会費:6,000円)
京都市右京区西院笠目町6
司会 元山千歳氏(京都外国語大学)
京都外国語大学ユニバーシティギャラリー 9号館6階(会費:6,000円)
京都市右京区西院笠目町6
ソローはヘンリー・ディビッド・ソロー(1817~1862)。アメリカの詩人、作家です。マサチューセッツ州の湖畔に丸太小屋を構え、自然と親しむ自給自足の生活を送ったことで知られています。
そのソローの生き方に触発されて、山梨県の山中の四尾連(しびれ)湖畔の小屋に独居生活を送り、「日本のソロー」と称されたのが、明治37年(1904)年生まれの詩人・野澤一です。
野澤はさらに光太郎にも心酔、昭和14年(1939)頃から、亡くなる同20年(1945)までの間に、300通あまりの長文の書簡を送り続けました。光太郎からの返信は数回、しかし、そんなことはおかまいなしに、一方的に手紙を書き続けたといいます。光太郎は辟易しながらも、野澤の特異な才を評価しました。くわしくはこちら。
のちに花巻郊外太田村の山小屋で独居生活を始めた光太郎、早くから辺境の地での自然に親しみながらの芸術制作という夢を持っていました。青年期には北海道移住を志し、実際に札幌郊外月寒まで行きましたし、その後も繰り返し、そうした希望を語っています。その陰には、活動する友人知己の存在もあったと思われます。北海道の更級源蔵、山形で真壁仁、千葉三里塚に水野葉舟、宮崎新しい村では武者小路実篤、そして花巻の宮澤賢治。そうした中に、野澤も加えていいのかも知れません。ただ、ソローに関しては、今のところ残された光太郎詩文にその名は見えません。
日本ソロー学会さんの全国大会、そうしたソローの精神の、日本での後継者としての野澤一、そして光太郎が語られるのだと思います。宮澤賢治に関する言及もあるようですね。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月2日
平成16年(2004)の今日、群馬県立土屋文明記念文学館で、第16回企画展「群馬の詩人-近現代詩の革新地から-」が開幕しました。
萩原朔太郎、大手拓次ら群馬出身、または出身でなくとも居住したことのある詩人50余名を取り上げるものでした。
その中には光太郎と交流のあった詩人も多く、特に清水房之丞、新島栄治に関しては、同館所蔵の光太郎から両名宛の書簡も展示されました。清水に関しては詩集『炎天下』に寄せた光太郎の序文の草稿も並びました。