智恵子関連のイベント情報を2件ご紹介します。
まずは福島・いわきから、智恵子紙絵の複製展示販売会です。
甦る高村智恵子・紙絵の世界 光太郎への愛のメッセージ
高村智恵子紙絵の世界として智恵子が製作した紙絵の復刻版を展示即売いたします。
同時開催、「大リヤドロ展」「大掛軸展」
もう1件、富山から市民講座です。
市民大学たかおか学遊塾 高村光太郎・智恵子の世界を談ろう会
市民教授 : 茶山千恵子(ちゃやまちえこ) 富山県子どもと詩を楽しむ会 劇団「喜び」主宰 女優
時 間 : 土曜日 10:00~12:00 定員 10人
運 営 費 : 1,500円 受講料1,000円 資料代500円(全5回分) 合計3,000円(初回納付)
会 場 : 高岡市生涯学習センター6階和室 富山県高岡市末広町1番7号
時 間 : 土曜日 10:00~12:00 定員 10人
運 営 費 : 1,500円 受講料1,000円 資料代500円(全5回分) 合計3,000円(初回納付)
会 場 : 高岡市生涯学習センター6階和室 富山県高岡市末広町1番7号
高村光太郎『智恵子抄』を通して真実に生きる姿、愛について談り愛(かたりあい)ませんか?
10/3(土) 高村光太郎詩集より
11/7(土) 智恵子抄より①
12/5(土) 智恵子抄より②
1/9(土) 智恵子抄より③
2/13(土) 高村光太郎の晩年
11/7(土) 智恵子抄より①
12/5(土) 智恵子抄より②
1/9(土) 智恵子抄より③
2/13(土) 高村光太郎の晩年
同じ茶山氏による講座「高村光太郎・智恵子の世界を語ろう」が、前期講座として5月から9月にかけて行われていましたが、後期講座として「語ろう」が「談ろう」になって開催されるようです。
こうした活動を通し、光太郎智恵子の名が身近に感じられるようになっていってほしいものです。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 10月1日
昭和26年(1951)の今日、雑誌『婦人公論』に散文「「樹下の二人」」が掲載されました。
「自選自解現代詩人代表作品集」というコーナーで、光太郎、佐藤春夫、室生犀星、堀口大学らの作品を集め、それぞれの詩の後に作者による解説を添えたコーナーでした。
光太郎は大正12年(1923)に書かれた詩「樹下の二人」について書いています。
智恵子は東京に居ると病気になり、福島県二本松の実家に帰ると健康を恢復するのが常で、大てい一年の半分は田舎に行つてゐた。その年(大正十二年春)も長く実家に滞在してゐたが、丁度叢文閣から「続ロダンの言葉」が出てその印税を入手したので、私はそれを旅費にして珍しく智恵子を田舎の実家に訪ねた。智恵子は大よろこびで、二本松界隈を案内した。二人は飯坂温泉の奥の穴原温泉に行つて泊つたり、近くの安達が原の鬼の棲家といふ巨石の遺物などを見てまはつた。或日、実家の裏山の松林を散歩してそこの崖に腰をおろし、パノラマのやうな見晴しをながめた。水田をへだてて酒造りである実家の酒倉の白い壁が見え、右に「嶽(だけ)」と通称せられる(安達太郎山)が見え、前方はるかに安達が原を越えて阿武隈川がきらりと見えた。
文中、「大正十二年春」とあるのは「大正九年春」の誤りです。詩は大正12年(1923)に作られましたが、「続ロダンの言葉」の刊行は大正9年(1920)です。
詩は以下の通り。
樹下の二人
――みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ――
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭(あたま)の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。
あなたは不思議な仙丹を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉へがたい
妙に変幻するものですね。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫(さかぐら)。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国(きたぐに)の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭(あたま)の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。
あなたは不思議な仙丹を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉へがたい
妙に変幻するものですね。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫(さかぐら)。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国(きたぐに)の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
明後日から1泊で二本松に行って参ります。初日はモンデンモモさんのコンサート、翌日は智恵子命日の集い、第21回レモン忌にお邪魔します。