金堂の御本尊特別開帳
御本尊(薬師如来)は、昭和9年の弘法大師1100年御遠忌に合わせた金堂の再建とともに、当時の大仏師・高村光雲[たかむらこううん]師により造られました。以来、80年あまり厨子内に安置され、秘仏となっていた御本尊が今秋もう一度開帳されます。
期間:平成27年10月1日(木)~11月1日(日)
期間:平成27年10月1日(木)~11月1日(日)
※10月1日(木)から3日(土)は結縁潅頂開催のため、一般内拝はできません。
場所:壇上伽藍金堂/御本尊:薬師如来(阿閦如来)
場所:壇上伽藍金堂/御本尊:薬師如来(阿閦如来)
それに合わせ、宝物殿の霊宝館さんでは、やはり光雲の手になるこの像の頭部試作も展示されています。期間は、御本尊そのものの御開帳よりやや長く、11月29日(日)まで。
また、南海電気鉄道さんと近畿日本鉄道さんでは、金剛峯寺さん、さらに奈良県吉野の金峯山寺さんとタイアップ、「まいろう。めぐろう。高野・吉野の秘仏本尊」キャンペーンを実施します。
臨時バスの運行や特別きっぷの販売、さまざまなツアーなどが企画されているようです。
ぜひ足をお運びください。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月29日
昭和25年(1950)の今日、詩文集『智恵子抄その後』のあとがきを執筆しました。
同書は同年11月、オリジナルの『智恵子抄』(昭和16年=1941)と同じ、龍星閣から刊行されました。
前年に作られ、雑誌『新女苑』に発表された六篇から成る連作詩「智恵子抄その後」(「元素智恵子」「メトロポオル」「裸形」「案内」「あの頃」「吹雪の夜の独白」)を根幹とし、他の詩文を加えて編まれたものです。
しかし、題名とは裏腹に、智恵子に関する詩文は少なく、大半は花巻郊外太田村での山小屋生活に関わる散文で、「詩集」と冠するのは羊頭狗肉の感を免れません。
六十五年前の今日書かれた「あとがき」の全文はこうです。
先年、「智恵子抄」をはじめて世に送つてくれた龍星閣主人澤田伊四郎君が、今度は又、「智恵子抄その後」を、むしろ略奪するやうな勢いで出版する。
「智恵子抄」は澤田君が戦後休養のため郷里に隠遁してゐた頃、他の出版社が澤田君の快諾をうけ、二三の新作を加へて再出版したので、今も世上に行はれてゐるやうであるが、戦後五年を経た今日、澤田君は郷里から上京して龍星閣再興に志し、昔のゆかりに因むものか、まづ私の「智恵子抄その後」に眼をつけた。
「智恵子抄その後」と題する一群の詩は六篇しかなく、しかもその六篇は互に有機的に結びついてゐてその間に他の詩篇をさし挟むことも出来ず、又その前後に他の詩篇を追加することも出来ない。さういふことをすれば壊れてしまふ。六篇では詩集にならないと私がいへば、六篇でも詩集になると澤田君はいふ。澤田君は私の手許から山小屋日記に類する文章その他を物色して、つひに斯ういふ一冊の詩集を構成してしまつた。私も澤田君の熱意に動かされて、結局この詩六篇を根幹とする詩集といふものの出版に同意した。
「智恵子抄」は徹頭徹尾くるしく悲しい詩集であつた。「智恵子抄その後」の奥底に何があるか、書いてから一年ばかりにしかならないので、まだ自分にもよく分らない。おそらくこれを読む人々が卻てそれを鋭く見ぬいてくれることであらう。
一九五〇年十月