過日レポートした平塚市美術館さんの企画展「画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」と同じ日に、ノエビア銀座ギャラリーさんで開催中の「山本容子のアーティスト図鑑」を観て参りましたので、レポートします。
会場のノエビア銀座ギャラリーさんは、銀座7丁目。ノエビアさんの本社ビルの1階にあります。当方、一昨年に開催された田沼武能写真展「アトリエの16人」以来でした。他にも常にいい展示をなさっていて、ご案内も戴くのですが、なかなか光太郎智恵子に関わらない場合には足を向ける余裕がなく、申し訳なく思っています。
今回は版画家山本容子さんの作品展で、日本人アーティストの肖像を描いた版画の蔵書票が展示され、案内葉書には智恵子も載っていたため、拝見しに行って参りました。
入り口のポスターも案内葉書と同様の版でした。ぜひほしいと思ったのですが、言い出せませんでした(笑)。
蔵書票とは、もともと書物の整理のため、蔵書の見返しに貼るラベルです。昔の愛書家はよく使っていました。それが単なるラベルにとどまらず、次第に意匠を凝らしたデザインのものを自分で作ったり、注文して作ってもらったりするようになり、有名な人物の優れたデザインの蔵書票は、それ自体が売買の対象にもなっています。
展示されていた山本さんの作品、その蔵書票の形をとっているので、それぞれ名刺大よりやや大きいかというくらいです。しかしかえってそのサイズに納まっていることで、愛らしさとでもいいましょうか、そういうものを感じました。
「日本人アーティスト」ということでしたが、32名の肖像が展示されていました。内訳は以下の通り。
泉鏡花 種田山頭火 正岡子規 北原白秋 中原中也 立原道造 金子みすゞ 草野心平 長塚節 室生犀星 堀辰雄 佐藤春夫 幸田文 武者小路実篤 円地文子 野上弥生子 井上靖 石川淳 吉田健一 白洲正子 星新一 山口瞳 藤沢周平 開高健 岸田劉生 梅原龍三郎 片岡球子 北大路魯山人 南方熊楠 古今亭志ん生 そして我らが高村智恵子、さらに驚いたことに光太郎もいました(笑)。
それぞれの作品には、キャプション、というよりそれぞれの人物への思いを書いた、山本さんの文章が添えられていました。ご著書に掲載されたものかもしれません。
智恵子に対しては、
まるで生きているようなハサミたち。両手で耳をおさえてゴマを噛んだ時の音をさせて、布をズリズリと切ってゆくたちばさみ。雀の舌をどうやって切るのかしらと不思議に思った握りばさみ。眉毛や鼻毛の一本のかたさを知ることのできる少し先の丸くそりかえった小さなはさみ。フランス料理では、魚のヒレや尾やホネもジョキジョキと今度は先が左に少しまがった大きなハサミで切ってゆく。まだ使っていないのは手術用のはさみ。切れ味をためしてみたい。でも紙を切ったら、切れ味が悪くなるって叱られたのよ。紙のためにはいいのにね。
となっています。晩年、心を病んで入院した南品川のゼームス坂病院にて、ハサミ一丁だけで千数百枚の紙絵を作った智恵子へのオマージュです。
眼には残酷なほどの白さを好み、身体中の穴という穴が一瞬縮こまる凍り付いた空気に喜びを感じ、その厳しさの中、新年が冬に始まる不思議に感謝を述べて、その大きすぎる足で雪や氷を踏みつけて踊る。生きている実感。遠くを見る眼の先には、木片の割れる音、土を押し出す指の圧力、筆の先の絵の具の粘力を透かせながら、純粋な魂に祭り上げた女の裸体をぶらさげる。「光」と彫りぬかれた便所の扉、そこからのぞいた風景だけは、穏やかだった。
見事な一篇の詩になっているような気がします。
ご存じない方のために解説しますと、便所の扉云々は、昭和20年(1945)からの7年間、光太郎が暮らした花巻郊外旧太田村の山小屋(高村山荘)に隣接する便所(光太郎は「月光殿」と名付けました)の壁に彫られた明かり取りのための「光」一字です。これも考えようによっては、彫刻作品といえるのではないかと思います。
ちなみに山本さんの智恵子肖像は平成14年(2002)、光太郎のそれは同15年(2003)の作品だそうです。
他の作品も、それぞれの人物の特徴をよく捉え、リスペクトの中にもシニカルな見方も感じられたり、ユーモラスなところもあってクスリとさせられたり、なかなか見応えがありました。
10月30日までの開催で、入場無料です。ぜひ足をお運びください。
【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月26日
明治44年(1911)の今日、『読売新聞』に、散文「画家九里四郎君の渡欧を送る」が掲載されました。
九里四郎は、学習院出身の画家。白樺派の一人として、光太郎とも交流がありました。この年から翌年にかけ、ヨーロッパ留学。それに際して光太郎が書いた一文です。
物は一見するに如くはないが、一見する甲斐ある人と、甲斐なき人とある事は争はれない。スケツチ帖を厚くしに渡欧する人も多い世の中である。九里君が其の前者に属してゐる事は、其の作品を見ても直ちに解る程凄い所がある。
と、九里に賛辞を送っています。