昨日、神奈川県平塚市で、企画展「画家の詩、詩人の絵-絵は詩のごとく、詩は絵のごとく」を見て参りましたのでレポートいたします。

会場の平塚市美術館さんは、JR東海道線平塚駅から徒歩20分ほど。なかなか立派な外観でした。入り口には大きなポスターも。

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受付でチケットを購入、企画展会場の2階に上がりました。

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展示会場は2室に分かれており、第1会場が「画家の詩」でした。「画家の詩」といっても、メインは絵画で、それぞれの画家が作った詩がパネルに活字で印刷され、絵画と並べられていたり、画家によっては詩稿などが展示されていたり、といった構成でした。

光太郎と交流の深かった画家も多く取り上げられていました。フユウザン会を一緒に立ち上げた萬鉄五郎、その特異な才能を認め、詩「村山槐多」に詠んだ村山槐多、駒込林町ですぐ近所に住んでいた難波田龍起、主宰した雑誌『雑記帳』に詩を寄稿した松本竣介、智恵子とも顔見知りだった竹久夢二、翻訳『回想のゴツホ』(大正10年=1921)出版に際し、写真を貸してくれた中川一政などなど。

展示室2は、「詩人の絵」でした。入ってすぐに光太郎の油彩画2点が展示されていました。

まず「静物(瓶と果物)」。大正3年(1914)の作です。この年、光太郎が始めた「高村光太郎画会」による作品と推定されています。油絵を購入してもらうための会で、雑誌『我等』(下記画像)、『現代の洋画』に広告を出しています。

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もう一点は、「渡辺湖畔の娘道子像」(大正7年=1918)。与謝野夫妻を通じて交流のあった新潟佐渡の歌人、渡辺湖畔の娘で、この年に3歳で夭折した道子の肖像です。この絵に関しては、渡辺湖畔あての書簡でその成立過程がわかります。

又御手帋にて御話の御愛嬢の事につきては 御悲嘆のほど察上候 御写真にて拝見してもいかにも無邪気に見うけられ候 元来写真によりて作る事はまことに苦しきものに候へ共 御言葉により ともかくも油画にて試み可申候 しかし此はとても小生自身満足し得るもの出来難からんと思はれ候 此事は前以てお含み置き被下樣願上候 (大正7年=1918 7月8日)

 あの愛らしいみち子さんの方は 初め木炭でいろいろ素描を試み今早朝の時間を以て八号のカムバスへ油画に致して居ります あの無邪気な晴朗とした面影を捉へたいと念じて居ります
 多分今月末にはとにかく一応お目にかけ得る程になるかと思ひます 其時は画を一旦御送附いたします故 み親としての御考をよく御きかせ下さるよう御願いたします 何しろ一度もお目にかかつた事が無いので甚だ心細く思つて居りますから 御考をきいた上で最後の筆を加へたいと思つて居ります (同 8月23日)

10月には光太郎は佐渡の渡辺家を訪れています。道子の肖像以外にも、渡辺の父・金六の肖像彫刻の依頼も受けていたためです。ただし、この彫刻は完成しませんでした。次は東京に帰ってからの書簡です。

製作上の参考となる事多く満足此上も無く候 此印象の薄れぬうち早速みちこ様の油画をかき上ぐる心筭に有之候 (同 10月12日)

そして12月には絵が完成しました。

 みち子嬢の油画はやつと出来ました 明日荷造りをしてお送りします 丈夫に荷造りいたしませう 此は元来私に到底出来ない仕事でありましたが 御心を汲むととてもお断り出来なかつたので兎に角かき上げましたが 作としては自信はとてもありません 私は写真から製作する事はどうしてもうまくゆかないのです しかし自分に出来るだけの事は尽しました 御覧になつた上お気付きの事がありましたら言つて下さい そしてお送り下されば又筆を入れませう それから此画には私の名を入れません 其は私の良心がゆるしませんから 此事は御承知下さるやう御ねがひします 名は入れませんが無責任にかいたのではありません 此事は御領会下さる事と信じます (同 12月25日)

 昨夜手がみで申上げた油画の荷造を終り今夕関根運送店に托して御送りいたしました故御受取り下さい。荷は「此処カラ開ケル事」と書いてある板をはづして下されば中から画を引き出せる事になつてゐますから箱を壊さずとも出ます。画面に若し木屑等の細末が附着してゐましたら奇麗な筆のやうなもので静かに払つて取つて下さい。まだ十分に乾いていませぬから事によると着いているかも知れません。御取扱に御注意下さるやう願ひます。荷が無事に着くやうにと祈つてゐます。御意見を聞いた上で写真は後にお返し致します。 (同 12月26日)

光太郎の細やかな心遣いが溢れていると思います。

光太郎の作品はこの2点でした。帰りがけに購入した青幻舎さん刊行の図録を兼ねた書籍『画家の詩、詩人の絵 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく』では、もう一点、大正3年(1914)に描かれた「日光晩秋」も掲載されていましたし、今月初めに平塚市美術館さんに問い合わせた際にはそちらも並ぶ的なお話だったのですが、不出品でした。この企画展自体は来年8月まで全国を巡回しますので、いずれかの会場には並ぶと思います。

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光太郎の他に絵画が展示されていた詩人は以下の通りです。一番右の「展示」という項目で、展示替えや不出品の情報がありますので、ご注意下さい。

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光太郎と交流の深かった詩人では、北原白秋、木下杢太郎、萩原朔太郎、佐藤春夫、宮澤賢治草野心平、中原中也などが挙げられます。

ちなみに上記画像は展示室2の出品目録です。展示室1の目録も兼ねているのだろうと思っていたら、展示室2のみのもので、展示室1のものは入手しませんでした。失敗しました。

同展、平塚市美術館さんでは11月8日(日)まで、その後、下記の予定で全国巡回です。それぞれ近くなりましたらまたご紹介します。

2015年11月17日(火)~12月20日(日)  愛知県碧南市藤井達吉現代美術館
2016年2月13日(土)~3月27日(日)   姫路市立美術館
2016年4月9日(土)~6月12日(日)   栃木足利市立美術館
2016年6月18日(土)~8月7日(日)   北海道立函館美術館


【今日は何の日・光太郎 拾遺】 9月24日

平成10年(1998)の今日、筑摩書房から「ちくま文庫」の一冊として、橋本千代吉著『火の車板前帖』が刊行されました。

橋本は、草野心平と同郷。戦後、心平が開いた居酒屋「火の車」で板前を務めていました。同書は心平を巡るとんでもない酔っぱらいたちの記録ですが、「夜の高村光太郎」ということで、光太郎にも言及しています。

元版は文化出版局から昭和51年(1976)にハードカバーで刊行されました。

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